2009年12月10日

趣味論

言葉の問題を文面と口語の乖離か撞着にみいだそうとした分析哲学の潮流は、すべて言文分析論といいかえうる。それはおもとして現代フランスで最も進んだ段階を達してきた。伝達論で著名なドゥブレの様な一支の碩学も、同分析手法の上を歩んだ。
 日本では和辻以来、倫理学の主流は断絶した状態にあって、文芸評論の各種は明白な潮流となる前に、各先進国の著述内容の翻訳へ転じて今日に至る。
 イギリス功利主義への品的、つまり質量両面からの修正としての趣味主義は、おもに岡倉天心の美術評論からきて日本らしさにまつわる無二一元説への注釈を介して漸く世に著されたものだ。それは辞は達するのみ、という孔子の立場を推して現代の分析哲学の最終到達目標を、最短語句で最も高度な功利的中を可能とする趣味の理念に求めるところへ立脚する。だから、フランス哲学からみればこの立場は決着的かつ帰結的でありアメリカのプラグマティズムからみれば先鋭的か独創的である。これらは、また功利主義からみればさらに選りすぐって功利的か若しくはよほど審美的である。
 おそらく先々この立場へのもっとも明解な批判は、ドイツ哲学の主流である人格主義が再び以前の声高な実践理性の尊重を単なる市場資本への様々な適応をこえて、起こされるところに生じる。つまり、趣味主義はそれ自体の実用級価値が日本風な芸術力の市場適合を計る様な一つの選び抜かれた功利性の押し上げに他ならない場面から、おそらくドイツ哲学界ではカントやヘーゲルの高踏式立場への回帰としての世界政治の地球化、一国風での学術覇権規制、審美観の客体論的世界市民化をなんらかの普遍性の画策で彼のアジア型華美への抑制に及ぼす不確定論的非難や徹底したキリスト教倫理貫徹の検証を行おうとする学派を要望すると見られる。さもないと、只の文芸趣味への品性の上でも、フランス学派にさえ先を越されるだけで西欧大陸国として一向に埒があかないだろうから。
 ここからして、旧来の日本国内のおもとしては近代文芸への批評哲学との攻勢に対して大幅に遅れてくる歴史または世界法廷に於ける法案論や社会批評批判が、ドイツのどこかの学者によっていずれかなりかきわめて完成度の高い姿でうみだされてくるだろう。現状で低炭素社会化などへの、純粋な生化学面でも大いなる過ちを含むだろう独善プロパガンダも既に示されつつある某西欧優越思想の一つの典型図式かもしれない。だが、東洋風やオリエンタルな先進国の一分を念じればこの種の国連全体主義説は国家規制がない段階では決して自明ではないし、現状の多かれ少なかれ勝手な風紀を元にした国際関係場では、空想論か誤解に過ぎるのでちっとも採用すべきですらないが。即ち親善の実践に則した貿易覇権を争う政治闘争上で絶対理想主義固執は、書斎派の内心どうあれ、唯一不動の外交指標ではありえない。それは小売り貿易商の文化間価格差が完全に消滅しきった世界精神段階でしかまったく交渉進展面でだれもに不都合だからだ。
 さてこのドイツ理想主義復興の潮流は、また国連への介入をゲルマン民族やその服属を課した持たざる内陸国群へみたび無防備な国粋説を啓蒙か扇動し、多分その中での旧連合国のヨーロッパ帝国主義覇権論をおしとどめるかそうしようとさえし、彼ら自らが西洋中心思想を批判するアーリア人絶対主義の公式の独断的立場に就き直したがらせるだろう。そしてこの流れは、結局国連の最終的な分解を行う。いいかえればドイツとアメリカの、またゲルマンとアングロサクソンやその内に含まれるユダヤの相互反目の流れは、かれら全員がカント的な永久平和の世界を望む訳ではない、といういわゆる聖戦主張のたぐいを新大陸に内在されているプロテスタンティズムの倫理風土でその孤立主義心理内奥に維持しているかぎりで、真に続く。
 我々がのぞめるのは、米大陸やオセアニア含む西洋諸国の種が協調の道理に究極で欠ける、という一つの運命の気勢を、日本という世に稀な島国については徹底した思想やたくみな文化防波堤でふせぐことだ。この原則を、私は多趣味さという比較文化論の立場から十分導けると信じている。当たり前の様だが、要するに、趣味の多さを追求する中で国際貿易の黒字続きの優位を各メーカー内製率の高度に技術可塑的な功利完成度で十分に保ちながら、なお使節や勘合で摂り込んだ我々からみれば珍しい外来文物を更に自らの趣味へぴったり適合するまで和風化していく固有の工芸界追随能力の過程に於いて、決定的な多文化国土を絶えず己の芸術独創性の基盤構造とも化することは日本古来からの柔軟で外来文物へ寛容な各外来風物のそれぞれの地域風景に選好された習得と同化の伝統にかなう、一種の天心的に特別な保守の観点に我々を導くのだ。この保守性は最も進歩的である。なぜならどの国であっても主権放棄の風を前提とした不可逆文化を前提に、自らを捨て鉢らしく否定構造化することもない。そして中心を空けるという神道の伝統は、つまり神のまします座を空けておくというその現生存へのたえなる再生信仰説は、我々の国土を支配する究極の実在が諸生物の原計画主である天照大神とされた原始祖であることへの天啓あらたかな構想力の限り、また哲学的最善の趣に他ならない。もし科学知識がこの伝統に解答をみいだそうとすれば、それは生物学に於ける孤島や島嶼の宿命への社会性動物的工夫、いいかえれば外来新種への誘引適応を遂げたある種の神秘化された審美知に至る。たとえば物珍しい気候をもつ地球のはての諸島では圧倒的なまでの豊富な特殊化をそれらの形質中和への準備として、まったく生殖隔離が生じない迄は競争力より受容機能の方へ優先して淘汰させるだろう。具体的には、最も近接な渡来した祖先種への機先を最も原理的な器官の保存として、生態記憶の底へ、いわば退化の逆算としてのこす。我々が沖縄の孤島植物にみいだす在来した日本の固有種との近似、たとえば痕跡器官としてのタンポポ類の顎などはいまなおセイヨウタンポポのそれとは本質で類似していない。つまりは、生物としてみた人類の末孫が一系統としての家族種あるいは固有種を祖先にもつことは、かれらの語族の似通う文法構造に類比できるのである。そしてもし和語が分岐としての単語や語法の外接性を保つならそれが島嶼適所の宿命だったからで、我々は知性の面からかの道徳をいわば自己組織のくみかえにみるにすぎない。さもないと閉鎖社会の語族間近親交配はかれらをいずれ奇形化しきわめて衰微させるか究極で滅ぼすし現にそれらをなしてきただろう。
 日本語とは存在しないところにある、この見解はまた、日本国とは存在しないところにある、或いは日本人とはどこにも存在しないところにある、という自己を否定や利己心を究極批判した逆理の神髄を以てその最高の趣味段階に於ける無私の境遇を私達と弁証法上に一致させている。そしてこの境涯は、誰が説いたにせよ衛星的な育ちゆきだった島嶼国である彼らの内外文明格差へのその場なりに最も普遍性ある態度たる、既存にして将来への一つながりらしき伝統思想の主流だった。個性の消去に体よく成功した個人こそ最も個性的であるのと等しく、もとは農村共同体の集約労働内倫理法則であった滅私奉公の道徳律は、その文化構想の究極の設計図がいまなお神のみもとにある信念、つまり地上に於ける末孫ですらかれの精一杯の考えにもとづいてしか、いにしえのまったき条理を想起できない、という復古の規律へとどこまでも還元されるものだ。