2009年11月6日

音楽産業の転回

現音楽産業の致命的な冷え込みの訳は、海外市場への最適化に急きすぎて、基盤構造だったCDのダビングを直接経由せずとも作品が手に入る様にととのえられたiPodやiTunesの追随に走ったことにある。
 特にソニーミュージックの純赤字縮小は、その米追随型のお雇いCEOを総括の責任者にしていることから、いわゆる既得権益だったCD‐MD間への購入経路をみずから破壊した節操にある。
なぜならおもな流行音楽めあての購入者だった若者が一人一台以上の同社パソコンをただの流行歌試聴用にもてる時代など製造業者の思惑がかったただの幻想でしかないし、実際に高級品種しか生産しないお高くとまった同系列企業が、ますます縮減しつつある景気のなかで貧しい若者から貴ばれる可能性はまったくない。

そして我々消費者がこの一連のお粗末な市場自己破壊現象から国内的に達観把握したのは、「リーダー企業の誤った判断は既存市場そのものを崩壊させる」という経験則だった。いいかえれば管理価格をになった寡占業者の判断はそれ以下の全消費生態を支配しており、結果、道を誤ればすでに現実となったMDの様な有用性の高い既存製品種の恣意的絶滅も起こりうるということだ。

 法人格たるソニーミュージックはこの一連の事後顛末の責任をいずれとられるであろう。目先の株価目当てに消費者及び外部に対する福祉の意図をあきらかに裏切った利己主義同族企業の汚名は、永久に将来の投資関係者一同の感情内に刷り込まれる。すべてを目撃した若者がいつまでも若者であることはない。

 このみずからつくりあげた惨々たる事態を回収したければ、すでにアップルによって支配的となったネットミュージックではなく、ふたたび以前の様にCDを中心とした既得権益の回復を計るべく、『音楽自販機』を多産するといいだろう。これには割安な数百円単位で各種のメモリーにダウンロード可能な挿入口をつければいい。
尤も、いつものエリート気取り驕り高ぶりの由縁で遂には誰からも見放され、最終的に市場淘汰される迄その音楽産業連中を好意から養う消費者及び彼らを後押しする株主の営業努力への期待を裏切りつづけるつもりなら、いまのままアップル追従ネットワーク販売中心の独自規格の独善姿勢を貫くがいい。一部マニア向けの適所ならいつまでも、ごく広い世界の隅にひっそり用意されつづけるだろうから。
歌え若者、などと大上段に命令する奢った生産者を我々消費者は無視も毛嫌いもできれば何れ食い潰すこともできる事を、すべてがまるきり転回しうる現実の市場進化論的証明によって、言い換えれば「市場の弱肉強食」によって理解するがいい。