2009年11月29日

精査した類の問題

人類がかれらの地位をたもつ為とりつづけてきた方策は自然界の耕作により栄養物を再生産する、という農耕段階の論理だった。農耕はそれが自然界のもともつ扶養力を大幅にこえた作物を稔らせる技術であり、少なからず地球の生態系を独特の艸刈り度で再構築する意図だった。もしこの高次消費がなくば、地球では別の光景がくり広がったろう。最も遠く広くへ生存圏を広げる雑食性の動物がその優先種だ。犬や猫の大きく野生化した種が、或いは発汗能力を手に入れた鼠や熊などがそうかもしれない。
 こうしてふりかえれば、人という哺乳類が進化の末端に立つ消費の地位をえたのはほぼ偶々たまたまだったのが理解しえる。人は猿から出た新種で、かなりはやく生存圏を拡げえた訳は直立姿勢で道具をつかう手を、牙のかわりにしたことだ。
 将来は人が永続することはまずない。人相互へでも共生から競争までの多様な系統が順位制として生じ、やがては最も強壮な一種から完成された人類が、そして最も形質の粘り強さが新しい場所へ先駆けた一種から脱人類の新種が当然出てくる。文明が独自の発展を遂げるという博士の見識はおそらく星内でも真だ。具体的には、耐久消費財以降の産業発展はこの事実を如実のもとに晒す。人は、はげしい工学段階の変化へ適応した一種と、その他の類人猿(エイプ)との類比をより多く保った旧系統とに二分され、終局では二種へ分岐す。ジョークの域で文明はあるレベルで科学兵器応報戦争の自己破壊をはじめるので他の惑星からの訪問がないのだ、と言われたとしても、現実の天体論理は想像のかぎり無限の宇宙では無限の多様さがみられることから、星の外の異文明との折衝は時間の問題だと確実視させている。
 つまり宇宙工学への適応は決定的に惑星内での高次元支配率に必然なので、それを中途半端さで失うかぎりで人類に留まること、いいかえれば古代神道思想の陋弊にのみこまれていずれ他の文明の侵略で破滅するか殲滅される。もし人類ではなく、類人猿レベルでの保守なら反抗の余地はよほど少ないので、侵略者にとっても無視か惑星ごと焼き捨てる生物量燃料源にするかは熟考しなくとも済む。だがなんらかの技術を手にした段階ではすでに、無際限にみえるほどの烈しさきわまりない工学の進化競走へ遅れない様に、必死で新開発しつづけるしか生き残りのすべは少しも無い。考えてみればわかることだが、殆ど無限大らしい全宇宙に生物の変異などすこしも珍しくないのは明らかだから、かなり低次元な変異しかもたないらしい惑星など一撃の中性子ビームなどでブラックホール状に完全に固めてその燃料としての生物量秩序を小型のカプセル状に収め、あとで焚火などの悲劇情報としてとりだす方がどれだけ使い道があるかしれない。我々が木々を燃やすことと、大文明種が我々を含む地球の細々とした生態系を同然とみなすことは等しい。
 ゆえ保守とは全く不可能である。長期的な地域保全のためにできる最低限のことは、類の勘定に於いて、保存すべき伝統とそうではない習性とを分別すること、つまり産業の進路に関する知的批判だ。