皇帝が王族と異なるのは、その世襲や世継ぎが前提となっているという神聖支配の正統化にある。だから皇族は、他のいかなる王や族とも権威の正統性に於いて比類がない。一般に、どの王侯もどれほど長く維持されてきたかという伝統の確かさによってのみその真価が問われるので、地球の帝という正統性を永年主義するに皇室ほど崇高なる権威は存在していない。
但し、政治の実務に皇帝権力の専制が最適かという疑問には世界史のあらゆる悲惨な実例が雄弁すぎる解答を出している。絶対権力の腐敗は絶対的。
この面で、至尊なる皇統を祭りごとの側面、いいかえれば大義名分論の範畴へ飽くまでも限定して国民奥深く内蔵することが、その宗教祖への唯一の敬意あるいは論語の意味での敬遠である。この祖先復礼という宗教形式を民族独自の祭りごととして保存することは、世界の中の季節風土に於ける希少な文化的系統を、発生初期の儀式の記憶毎ごく素朴な侭に保つ、ある種の伝統芸能の保全に値するだろう。
全宇宙の最高権威たる全知全能の神からの命令を自然崇拝からつづく一系統の上で実践する、この神聖支配の方式を少なくとも地球の上に於ける代表者として象徴する役割こそ、天皇が大義名分を貫き通す伝統的正統性である。