2009年10月31日

一律保障論について

小人間居して不善を為すという『大学』第二章のせりふがある。この裏は君子は間居して不善を為さない、又は善行をなすということだ。もし崇敬すべき古典原理主義者に畏れ多くもこの聖の諺を現代風にかみ砕いて解釈すると、「少なくとも知識人なら暇を有為に使える」と凝った意訳で言い換えれるかもしれない。
 そして一律生活保障金構想という穏やかならぬ商人蔑視潮流の痛み分けを声高に叫ぶおかしな浅慮は共産思想のいいかえにすぎず、仮に幾らかの賢明きわまる資本主義道の後退や変節と共にこのおかしな施策が行われれば当然、悪徳の増長と必要悪とよばれて陸でもない人々から正当化されているが全く不必要で害のある商品への需要増大がみこめる。
 ヒマを持て余しそうになった船員へ碇を磨かせた船長は人間性というものの体得者だったと言える。仮に働かざる者へでも助けの手をさしのべようとするまで有り余る財産がある大富豪政府国家なら、先ず『大学』の費用を免除した方がいい。