2009年10月16日

専門教育の道理

政権を奪った高揚感の所為か、宣言書に記した分を越えた政策を打ち出して国民からの公正な支持を無為に帰す傾向が民主党内に現れだしている。専修学校まで一律無料化を進めるという政策は、計略的な検討が十分なされないまま勢いに乗って考えついたその場のがれの方針だと言われていい。なぜなら、すべての教育機関を原則無償とするという大目的があるのではないなら、私立学校という発祥をその元来とする専修学校およびもと専門学校令に基づいて建学された各校を、国立大学という帝国大学系の施策と同列に論じることはできない。
 そもそも現行専門学校のほとんどは、明治時点で矢継ぎ早に建設された帝大での講義が外国人のお雇い教師に頼って英語をおもとするものであった通弊をわたくしにかんがみ、当時の高等教育を受けた日本人教育者自身が日本語によって、国立大学におけるがごとき外交可能な精鋭層ではなくて、純朴な国内に便を持つ技研者的な中堅層を固める意図を以って創設した史的経緯がある。いくつかの専門学校は大学令と専修学校令の分接時点で名義を鞍替えするかどうかの選択を迫られ、かなりの規模を確保できた専門学校は私立大学へと転身し、そうではない元々の態度で甘んじることにしたものは専修学校という名分を保って現在に至る。つまり、およそ専修学校というもの本来の私学発の土壌を鑑みるかぎり、その国費や政策からの変わりやすい干渉を受けない自主訓練の部分にこそ、安定した業界需要という民生福利に密着した理由がある。それは急ぎ足で当時の先進文明からのつぎはぎの知識を、上位下達の輸入学問としてとりいれた各帝国大学とはまったくことなった意義と将来性とをもっているものだ。たとえば天下りの様なあしき慣習は、国立ならぬ専修学校では結局ついぞ根差しえない。成立の時点からすでにお上の世話にならずにやってきたのだから。ともあれ逆にいえば、政府が干渉を正当化できるのはよかれあしかれ帝国大学系の文部科学省管轄下にある国立教育機関に限る、とここに理解すべきである。
 もしもこういう教育史の系統論を軽視していまの民主党の行き過ぎの政策をまま推進すればどうなるだろう。自然に咲いた私学でしかありえない専修学校という植木は無理な栄養分注入を強要されるべく、その大局最優先的政策干渉という暗愚な方針で根っこから一度ひきぬかれる結果、べつの肌の合わない土壌へなんだかんだと移植されるなかで根腐れを起こしてやがてはすべて枯れきってしまう。間もなく工業という根幹産業も同様の経過を辿るだろう。こういう不自然な改造による失政の例はすでに、エコール・デ・ポリテクニクスなどフランス教育界の一連の近代化改革において、一律の官僚主義的方法による国民活力の退化の中に実際しているのである。そこではほとんど民間人の自発的な創意工夫の発芽がみられなくなってしまった。我々は現代人のなかで圧倒的に優位な成果をみせているアメリカ教育界の方針、つまり教育権の独立と学園の自治つまり原則的な放任主義を、技術訓練面に関しても上級者にとっての私学にまつわる養生方針だと認めざるをえない。
 さらにいうと、市立や県立ふくむ公立教育というものはいわゆる教育基本法で管理されるに留まり、現文部科学省ないしその時点での教育関連の省庁からそれをあきらかに越権したその場限りの干渉を受ける謂われはない。なぜならば、予算編成時点での配分如何は政権与党に任されたものなのだからどうあれ、教育の自由は憲法に明記されたわが国法の認める人権なのだから。そして地方の事情にかえりみて詳細は、各市町村議会の条令規則でこまやかに微分化される方が美しい。これを踏み越えた教育干渉は地方の人民相互の協和と自助の精神を東京人の恣意と強権でぶちこわし、おそるおそる軍隊じみた上官からの一方通行のおしつけがましい国粋主義の鼓吹をみたびふきこむ危険性がある訳だ。その実例は、教育の権限をあからさまに干犯してとち狂った天皇崇拝の現人神思想の狂信を全国全員一律に強要した、棍棒片手に幼弱男女を虐め尽くす軍部独裁の昭和中期の史上最悪の各公立教育状況へ照らせる。以上から結論できるのは、私学という発祥をもつ専修学校への政府からの寄附などはまったく有り難くないどころか迷惑千万であり、この裏の手を返せば内心見下した態度でもって、明治維新以来日本社会のうちで黙々と働いてきた中堅組の自活自習の権限を柔弱公家の策謀に過ぎぬ国立大学府によって飼い馴らされた身売り同然たる西洋思想寝返り組の権化どもといまさら同列化させて扱おうとするなど言語道断、かつ失礼きわまる。道理のない税金ばらまき政策などまことに余計なお世話であり、資本市場の一大壊乱騒ぎに過ぎず、またこの種の非エリートと揶揄された中でも与えられた身代に甘んじて国土再建へ寡黙な奉仕をつづけてきた中堅層の国民感情とわが国の教育史の複雑な経緯に無知な自称教育関係者は、新設ならぬ重用省庁の長となるにあいふさわしい人格や権威とは考えられない。教育とは国の要である。
 民主主義を重く見る一国民として現政権与党におもわくば飽くまでも公約としてかかげた宣言書にしるされた内容を実直に遂行し、それをこえた内容は要々穏健に国民監視の意義へ透明な公開議論の末さっそくあらためるに粗相なきよう、上意下達による一方通行の大上段に構えた旧態幕権の通弊を一新し、おのが一身上の我意でなく現況民意からの公正な支持にこそ率直に則られることを暗黙にねがう次第だ。