2009年8月9日

外交筋の原則的方向付け

(既に述べていることだが)追い詰められた敵の逃げ場をふさいでは絶対にならない。それは捨て身になった鼠によって致命傷を負う猫の危険と表裏一体だからだ。
確実に勝利できればできるほど、窮地に追い込まれた敵へは敢えて蛇の生殺しの道を選ばせ続ける持久戦が有効となる。

 北朝鮮がどれだけ軍事面で劣っていたとしても、日中間という根本的な社会思想の方向性に相違のある相手とは協力せず、いざとなればそこへ逃げ道を空けておくことが日本の国益からは最大の徳である。

2009年の4月11日に、麻生首相はこの兵法についての原則を逆行した、タイのパタヤでの“敵の敵”との会談を行っている。つまり中国の温家宝首相があきらかに北朝鮮を敵視する発言をそこからいざなわれている。
 日本政府やそれに類する関係者はまったく勘づいていないようだが、中華人民共和国というのは平気で隠密を遣うような近代化などもってのほかの国体なのである。近く北京五輪の際にも、その末路は未確認だが、機密情報を盗まれた英国官人の例があった。
そのような不良国家とすこしなりとも親密さをみせるなど先ず尋常の感覚の持ち主なら考えられないことだ。余程の育ちの為にはっきりした危うさを察知する神経を充分もっていないならどうしようもない。その時は、単純に現政府外交関係者を国内政治から断つしか国民の安寧は無いのである。

愛想のいいだけが取り柄の、歴史と民族間の文明度について無知の日本人からみれば、それは大量の労働力をもった国などは気軽な経済協力上の大当たり筋に感じられるかもしれない。
実際、素人ならばその過ちも自業自得の範囲で理解できるが、「駆け引きの狡猾さ」を幾多の歴史的経験から実践上最も必須の統一才覚であると悟っている長なら、北朝鮮の側にとっては骨肉を分かつ間柄としてのもと朝貢国から睨まれるのがどれほど深刻な驚愕をひきおこすか、防止不能なテロで一般的日本人民の大量殺害が起こる前に反省してみなくばならない。

つまるところ、経済が政治なのではない。寧ろ多くの場合は直近の利益に堅実な施政は反するのだ。
たとえば刀狩りや太閤検地が如何に多大な労力を要するわりに、市場的発展そのものとは相反していただろう。当然だが同様に、目先の財閥にとらわれて国際外交権の大筋をみあやまってはけっしてならない。
 もし少々貿易発展上での協力関係が揺らいだとしても、安全策として『中国(中華人民共和国)との原則的絶交』は正しい方針である。それは食品貿易だけに限らず、各種の環境開発や国連ふくむ国際交渉上でもだ。
 少なくとも極東では、台湾(中華民国)および韓国という自由主義のルールを遵法する気のある多少なりともの優等生としか一言なりとも口をきいてはいけない。
そうしなければまず間違いなくかれら自滅する不良の仲間入りを迫られる日が遠からず、やってくる。既に端緒は最も心身とも追い詰められた北朝鮮への共通の‘悪意からの虐め’の誘惑から忍び込んでいたのだ。弱いものを意味なく虐げれば必ずみずからも同罪に刑せられる。