2009年8月20日

伝達

もしも世界が十分に広ければ、人間は永遠に広がりつづけることもできたろう。それ以前に、地球環境への適合性が彼らの本質的条件だったとしてもなおだ。
 だが我々は学識の積み重ねで益々すべてが然るべく適所への変形をへているのを知る。この為に、人は人類がすべての面で汎用ではないのを見るだろう。空を飛ぶ為には十分ではない肩甲骨は退化による、空中圏への不適応を実証している。我々は学問によって賢くなるのではなく、学をつなげることでのみ賢さを保てる。而して学識という外部化された伝達記号系列群は、一体、量的に観測できるのみである。文化が学習方法の改良を行わなければ、膨大に及ぶ全秩序立った法則は遺伝されない。
 だから、学者が折角の努力を無駄骨に終らせないために注意深くなるべきは、積算した知識を効率よく他者へ伝達することだ。詰まるところ恒常的に社会が保有する伝達可分量だけが、民族の賢さの証となる。そして忘れられた知識には本としての重みしかない。
 もしも人類がこの宇宙内での知的生命たる名義を重く受け取るのなら、できうるだけ賢者の多い社会環境をつとめて志すがいい。さもなくば決してかれらが以前より偉くなったり、進歩した文化を構築することはない。