2009年8月28日

嗜みについて

芸術の主眼がその形式または様式だった、ということは十分に認知されるべき命題である。そしてこの意味や内容とは係わり合いの本質的にはない、純粋形式論の上でのみ芸術が語られないかぎり、結局技術的にますます複合化されてくる現代美術はどんどん一般に理解不能になるだろう。批評家あるいは造詣ある人と考えられている階層の人格が上述の、形式論への教養に欠けていそうなら、そういうひとの批評には十全な価値はない。対して、科学そのものを職業や生業とする専攻者がこういう形式論へ精通している場合はとても少ない。というのも、科学知識的学問それ自体は、形式を問わず、言語の記号がもたらす意味または内容への哲学だから。
 最も確実にこの「学」と「術」との間の分裂の問題を考究した哲学者に、カントが居た。かれの属した中世の軌跡のこる時代と地域なりの晦渋な文体でではあれ、カントは芸術の問題が形式論であって、決してその他の学問とはおなじ原則でいとなまれるものではない、と明らかにしようとも著述につとめた。そしてこの点で現代の目からみても、思慮深くもカントの哲学的達成は、古代ギリシアの賢人らの地点を超えていたのである。プラトンが「理想(イデア)の写し」に過ぎない、として芸術のいとなみを批判したことに対して、「現実(エイドス)の姿」である個物はそれ自体が合目的でありうる、とかえした弟子はやはり師への追随に留まったのだった。比べてカントによって西洋史上の哲学的古典の考察が綿密に行われ、この根本的な形式と内容との二元論化への反省が一つの総合認識へまとめられたとき、我々は彼の理性がいわば学術という考え方を生み出したのを見るのだ。そして学の問題と術の問題とは相互にことなる原則で処理されるべきだ、と考えたとき、古代ギリシアの精神があと曳いていた普遍性と個別性との間の相互いに好ましくない不調和は解消された。なぜならば、理想をつかさどる学者はその意味や内容を純粋な理知に基づいて考究すればよく、現実とみわざの範囲で格闘する芸術家はそれと係わり合いになるかならないかは別に、単なる作品形式やその時代様式の問題だけを集中して解決すれば済む様になった。尤もこれらの職名も効率性を重視して分業が普通だったひまのなく貧しかった文化段階の用語方法であり、未来の世界ではかれらの職業間に区別はなくなる。だが上述の批判的基礎の観点だけはいきのびるだろう。
 芸術を批評するのにもっとも適当なのは、これらを鑑みれば、できるかぎり幅広い形式論上の知識をもっている、いわば嗜みのある人になる筈である。そして必ずしも専門のある科学者ではなく、自由教養人的哲学者となるだろう。こういう目利きは一般に大層な暇人である場合がほとんどであり、ほぼ実用性とは無関係な多くの技術上のこまかい手間隙を、ただ自らの趣味を満足させたいがために理解しきっていることが多い。だがそういうひとは大抵、現実問題についての無用の用を為し、貴族、趣味人、高等遊民、或いは実用主義の目からは道楽者、好事家、物好きとも云われる。多色刷りと職工的分業のくみあわせを工房制度の確立というある安定した富豪の時代背景と共に追っていった経験のある文化教養人でないかぎり、なぜ浮世絵や漫画などという庶民のいやしいなぐさみものが西洋人からだけ特異的に、かれらのルネサンス的個人芸術家の独創力思想以来の伝統をゆらがす逆理的独創性の高い製品なりなどと彼らの衒学的流用には使い勝手のいい外来風物として持て囃されたかも認識できない。要するに彼等はその幼稚な内容などではなく、極東の文化的野蛮人が粗野で垢抜けない感覚で独自につくりあげた技法の珍しさを、おのれらの洗練の度が過ぎた歴史的飽和の中性化へ洗浄剤として利用したのであった。だがこの自認された洗練が地球文化史上どの程度中央的かはいまや疑わしいものだが。
 こういう訳だから、長い芸術様式上の展開の史実やその技法の銓明に無知なしろうとが流行に後れまいとして様々に経路をとる学と術との間の命脈をとりちがえることは、彼ら自身の価値観の失敗を最終責任としたにせよ、危険なのである。職能の背景も分からない侭、単純にマリリンモンローのスターダムっぽいあれこれを血色のいろいろな形にとどめたその意味論や内容論だけで、商業作家だったアンディウォーホルが彼の手に入れていたシルクスクリーンの技法をゴシップの援用という知的ではない装いでなぜ飾ったか、彼と同時代的なダダイズムや概念芸術その他の西洋コンプレックスの裏返したる選良主義風評論重視的美術観への大多数の同調ムードにかけて評価するのは不毛である。そこではもっと実用向けだったただの版画の技法を純粋な造形絵画史脈の中へ堂々もちこんだ、漁夫の利式あざとさだけが本質なのだ。一方そういう新大陸美術の中心軸のない歴史的空虚さを穿った芸術は、文化史上での宗教的根拠、その聖像という意味の決定的喪失について独特の展望としては追認的分析がなされていい。そういう性質は近代主義の潮流がアメリカの風土でのみ花開いたことの結果だったからだ。いいかえれば芸術家あるいは芸術表現を行う者が意味や内容論の達成をつねにもとめているものではかならずしもなく、そういう観点は大衆への解説を込めてもともと批評家の後付けで求めるべきものなのであり、おもとして純粋な形式的達成のみを命題としてきたという点で鑑みれば、嗜みのある人の目には単に技法の変遷が各純粋芸術の枠組みのなかで徐々に鑑賞できるだけとなる。そして本来は学問の問題である意味や内容についての援用を図る場合、それは芸術の本質にとっては、単に余計な装飾である。そういう装いは歴史ではなく、流行と呼ばれていい。ある芸術様式に同時代性がみられる根拠はこの学識援用に一定の文化系背景があるからだ。画家の曾我簫白や詩人のブレイク、建築家のガウディなど時代を経てもある種の特異さ、異様さを伴ってみえてくる超個性的奇手は、同時代の平均的教養体系から孤立して身を遇した経歴からこの流行に乗っていなかった訳がある。忙しい世人は一本筋の通った歴史よりも周りより目立ったその場まぎれの流行に騙されやすいものなのだから、真実味のある誠心な批評家にとって功績となるのは、こういうきわめて除去されやすい遠心的突然変異についての懇切丁寧な一風変わった趣味の擁護、となるだろう。