2009年7月17日

夜明け

最初に万物が現れた頃、余っていたのは真実だけだった。結局の所、誰であれ嘘か真かを見分けきれない。だから余った分の、嘘らしい真をまとう。それは作り事という魔法だ。
 君はそうして物語の中に入り込んでしまったのだ、この現実という名の。だが、誰であれそれが虚構だと悟れば、決して夢中になりはしないのだが。どうせこの世はその怪しげな魔法の効果を試す実験場に過ぎない。
 成功しても失敗しても、どれもみな台本通り。そして脚本家は、作り事を置き換えて継ぎ目のない一繋がりの時間軸を偽装するのだ。かんがえてみればいい。どの事物であっても空間としてみれば完全な広がりをもっている。それらの間に流通網がもしなければ、我々は万物を完璧に識別できるだろう。
 時間というものは神のつくりあげるまやかしものだ。我々は自らの代謝とひきかえにして、高い買い物をしている。それは長編映画に縛り付けられた退屈した子供の様な期間ではないか。我々は脱出を欲している。我々がただの仕事量の塊にすぎないというなら、尚更にだ。
 既に失われてしまったものはかくあるごとく、人はもう世界を十分なシステムであるとは思わないだろう。そこは教えられた学問と似た、使い物にならないプログラムの演じる場所なので。
 だから、夜に紛れた藍色の空の様に静かに、ただ静かに夜明けを待てばいい。すべての秩序が整えられたとき、宇宙には混じり気のない澄み切った青空が広がるだろう。そしてもう創造の真似をやめて、我々より優れて神格的な真理の為に貢献するだろう。人気のないグラウンドに降りしきる通り雨の様に、君は絶対に汚れることのない青空を奪うだろう。万物は十二分に浄められ、すでに過去の記憶を持たないだろう。川のながれは嘘を流しはしないのだから。