2009年6月24日

選種誘因の文明史観

人類間の競走が文明系同士の相利関係へ至るか否かは単に客観的なそれらの間にある経済的平衡の有無で決まる。1が他より、甲が乙より膨大なら決して蛇は象と争うことがない。蝶と花とは両方が経済的に等価である稀な適所へ合致したその幸運を楽しむ。経済規模が文明系の資源となる。雇用する労働量の多さは同時に、彼らの定型的生産量を期待できるだけ国家の養える学者、技術者、芸術家の質と量とを増進させることになる。人口支持力は今のところ実証されている中で最も信頼できる国力の指標である。
 これらを総合すると、有する土地の広大さはその儘、文明系が発展可能な限度を示していると考えていい。地上を越えた宇宙規模へこの認識を拡げると、植民領の規模はその系が持てる人口支持力の限界と一致している。若しある文明系が何らかの事情でこの領分を限られているとすると、大体は隣国との境界によるが、結果としてその土地の持たせ得る経済開発の最大値へ至った後で人口は減衰し、社会生物はその場に於いて最も性特徴を特殊化させた環境収容力戦略の形質を淘汰させ易くなる。いいかえれば狭い国土では場の誘因が形質を特徴化し易い。仮にこの場所が極度に狭いとすると、そこでは極端に幼型化の進められた変種が生じる。そしてこの場合の適所を隔離場と名付けられる。
 逆に宏大な、ほぼ無辺に広がる大海、大陸の性格を持った居場所を主義とした形質は内的増加率の為に特徴化され易い。これは同一形質の増産、速い世代交代の高繁殖率の為であり、成程、どの生態にとっても途上的形態あるいは比較的低次の体制がこの傾向を一層強く持つわけだが、よってまた多産多死によるピラミッド型の人口分布を普通とする商業的集団をつくる。分解者の絶対数に対して生産量が膨大な土地では植生の繁茂が目を覆うばかりに烈しく観察できる。人類生態の中で目まぐるしい繁華街が生じるのはおよそこの過剰生産的場面である。しかしまた如何なる消費者も土地生産量に対して生計を秤打つ限り増産の場は長期に渡る文明の発展にとっては必然とも言える条件であって、どの人種も富士則に応じてしか形質幅の裾野を広められない以上、結局はどの小型の衛星国も大規模の帝国的文明系へ共生か依存してしか成立できないのが明らかである。
 比べて、我々が進化という現象、つまり形質上の決定的な転換が起こる適所を発見するのはこのどちらでもない第三の地域に於いてのみであり、そこは謂わば全く偶発に左右されつつある移ろいゆく時間帯環境として観察できる。結局、既存のどの形質とも全く次元の異なった極端に進歩的な形質の選好され急速に集積されゆくことになるのはこの進化の場にこそ託されている命題であって、そしてそれはまた時が代われば失われてしまう臨機応変型のものめずらしい隙間なのであっただろう。珍しい生物は珍しい地域からしか栄えない。そして我々が珍しさを覚えるのは常に多数派や少数派とは異なった的数派についてだろう。なぜならある数量以上のまとまりある団性がみいだせない生物についてなら、既得の系が僻地へ入り込み小集団として隔離されたことからくる奇形作用の増長という奇観、同型種数の極端な少なさによる異様の面の方が先立つだろうから。
 これらの社会生物学的法則の環を哲学的へ体系づけられた結論へみちびくとするならば、我々は衛星文明の進化誘因、しかも風変わりでも在り来りでもない合目的なめずらしさという系統の複合型への高度に周密な的数有意性を、所々の自然観照の視野へあまねく見つけ出せるのである。可能なかぎり雑種的でなお文化上開放されており、かつ強壮な帝国圏にとって衛星文明に属する稀な適所、そこが既存種及び人類以上へ変異した形質の決定的進化を喚びこむのに最も好適で、実際にそこからのみ旧態よりずっと優れたはっきりした新種は栄えの光を見ることができる。なぜならば、この文明系では各系統から選良された血統が周密積算され易い社会誘因が殆ど確実に生じるだろうから。