超急進的な突然変異が長く存続する確率の低さは、それが普及していないことから来る文化場の未整理と未熟とに求まる。適所さえあればどの変異もつとめて保たれるだろう。淘汰圧の解除が実質的な進化の要因として最も重要なきっかけといえよう。これらの理由は人類間で相対的に優る性能を持った種集団が彼らの内に存在した形質の性特徴の促進を、分業の為の囲い込みでどれだけ計り得たかに依存していると教える。階級制度に利点があるならこの点である。もしも最大の平等が主目的となった社会集団があったとして、そこでは内的増加率からの抑制要因がつねに、形質の特殊化に対する枷として働くこととなる。より人倫風の表現をとれば経済性の必要から、利己を量るこずるさがなければ決して生き残れないだけその場は形質の完成された均しさを変わり者より急速に淘汰しやすくなる。
臨機応変型の社会集団は、おそらく全ての面で最も生き残りに勝るだろう。なぜならば形質の可塑性が最も高いのは、他のどの集団よりもこの個性派揃いの種集合だからだ。それゆえにこの集団が環境変異にまつわる適応力に最も富む。
一般に、固定化した保存形質はその数に於いてのみ意義を有する。群れが持っている利点はどの個体もほぼ等価なので、本質的に交換可能であるところにある。頻繁に勢力関係の代わる群れの原理は又、そこがとこしえの模擬の舞台であり、他個体との鏡合わせの方法で自らの被保存率を上げようとする一つの生態戦略の必然的帰結であった。環境収容力はまさにこの正当な原動力である。単に数に関して進化が起こるという事例は見出だされなかったし、保存率を除けば決して群れそのものに意味内容がある訳ではないのは周知の事実だ。模擬するのは個体の変異が後進的で且つ改良に遅れているという事情から、多数派の偶然の生存に託して自己のどうにもならない形質をなんとか紛れ込ませようとする言わば便乗の手段である。仮に生まれながら優れている種であればかならずや個性を誇示するであろう。群性の強調はほぼ常に便乗を狙った後続者の最後の一手である。しかし窮鼠が猫よりも生存率が低いかは確定できないので、この行動形も社会型生物の中にはおおよそいつも一定数以上の獲得的プールとして残されて行くと思われる。
人類にとって決定的な勝利につながる鍵は、こうして非社会集団の適所を如何にして多数かつ多様につくりだすか、という形質の進化の意図された促進の工夫次第に求まる。社会集団、とここで記述している内容は、少なくともこれまでに世の中に見いだされた在り来りな行動形のあつまりを指す。これの模擬は当然連鎖し、群れに墮するので結局は獲得的となりその生態的可塑性は固定化され、便乗以外の価値を持たなくなる。たとえば繰り返された流行歌にはもはやなんの内容もない。この鏡合わせは保存的で、代替可能である以上、なんの個別の価値もない。失われても構わないものは相対的に情報量が低い。
これまでの人類史が示している様に、群れの勢力からの抑圧措置としての統制主義がはびこった社会集団は常に、殆ど法則的に敗退して行く。逆に自由主義が擁護されていた社会集団は上述の原則、つまり個性派の自己進化が保障されている分だけ綜合した協働効率の面で圧倒的だった。急進的な形質についての転化の解除が自然淘汰の命令に逆らってうまく行われるほど、その種集団の中で決定的に有意性を持った個性派が確立される場合も多くなる。家を成す、ということはこういう原因で実際には極めて効用ある社会進化の手段である。