2009年5月15日

信教権の自由化命題

希少でないもの、有り余るほど豊富なものはその場では貴ばれないので、どうして熱帯や亜熱帯に属する東アジア諸圏ではキリスト教の厳格な教義が根付きづらいのかという道理にもその面から幾つかの仮説が立てられる。
 第一に彼らには道徳感に強固な偏見があって、それには既にキリストの説く徳目を超える部分すらあるので敢えてあらたな信教に頼る必要を覚えないという可能性。
 第二には、極めて希少な形質がキリスト教の人格者像とは異なるという可能性である。

 危険ある寄生虫への未然対策として熱帯圏では小数の高免疫力形質への集中投資が行われやすく、この点で厳格な一妻制を妥協点とする世俗的キリスト教信者がその場へ多数派の勢力を確保するのが難しいという意見には、医療の発展が免疫負荷軽減からやはりその必然性を次第に蓋然化するのを当然視させるものだと説得できることとなる。
 だから、世界宗教としての権利を瞥見して徳律間の倫理性が比較的に劣る思想は他の一派が改良された習性をもちこむ限りで場を譲るのを義理とも義務とも任じざるを得ず、またつとめてそうすべきですらあるのだ。

 その時点での政府が国教化の偏りをみせるのは長期の道徳観にたてばすべて、人倫弱体につながりその国勢をも衰亡させる深因となるだろう。さらに短期間で眺めても特有に凝り固まった宗派はほかの総合的な思想潮流に比べればつねに何らかの盲点を有する筈であるから、かれらの勢力は他国との習慣的善意に関する違和感を増幅させずに置かない。たとえば普遍的見地からすれば世界観の歪んでいた独裁者倭一族の長年のすみかであった京都の市民はジーザスが艶のある目を蔑む意識もその恥ずべき柔弱すぎる習慣上には理解できず、旅の若いキリスト教徒へ平気で姦淫罪の源氏物語とやらを奨めても文化のやむべからざる相違からくる悼ましき羞汚の念を恬として感じない。誠に憐れむべきことだ。斯くが如く二重の意味で国教には不純さがある。執着と偏りと。
 日本にかぎれば争点は既得政権に深くかかわりあいをもつ新興宗派が現に存在するという事実、及び王権神授説を未だに信奉する土着の信教説が原理的に批判検討されていない事情へ専ら還元されるだろう。君臨すれども統治せず、と自ら獲得した清教徒以来の節度ある権威を誇る知的民族の長は、神とおのれを混同した幼稚な議論で国統自慢に終始する賎しい政治操業屋の自己充足感とは永久に同列に唱えられはすまい。政教癒着の内憂をなんらかの工夫で唾棄できれば、我々の国土は大方の迷信的錯誤から少なくとも文化上での欧米からの遅れという面では、いくらか回復もできることになるだろう。江戸時代の鎖国を最大の基点として一気に坂を転げ落ちたらしき、特有の思想を国家政府が恣意的に排除した傷痕はこれほどまでに長く、民族人倫の障害として残ってしまうものだ。そうはっきり過去のあやまちを反省できるなら、致命的戦敗の悲惨を幾度もくりかえすおろかしさだけは、文民について、暴力団と一体化してつるむ悪徳政治家の空威張りを意に介さぬ啓蒙の及ぶ範囲ではやがて回避できる筈と信念させる。
 然るにもとより殉教の覚悟ある聖人君子はさておき、人々に亡命権がなければならないのは特に可塑的に完成された共和制とは言い兼ねる構造を残すいずれの政体でも、そこでの権力濫用が狂信から生じる余地をも意味するかぎり、どの文化圏においてですら希少な才能は保存すべきという不偏不党の人道の見地からして真ではある。そして信教の自由が徹底して遵守された国家へ宗教革命下の亡命者をその既往の利害を越えて受け入れるのは、教派闘争よりずっと博愛と慈悲の理想を尊ぶ一つの寛大な宿屋主の規範に違いない。自由の女神に刻まれた文言は決して特有の神へ限定さるべきでない、自由圏の人間宣言であると思える。