2009年4月3日

法則論

法則が成立する、と考える習性は地球のある知性がその目的にとって適度に惑星化されていくところに生じる。定期的な環境変異の運び行きの中で習慣的に集められた認識の材料が科学知識を作る。調度蜂蜜の様に、人類は様々な生活要素を結晶させて自然法則という認識用栄養分を蓄える。富でさえ、巨視すればこの法則素としての共感的比例概念へと次第にひきかえられていくらしく見える。我々の工学では不老不死を実現させられていないのだし、結果どの個人も死亡するまでしか富の形を残さない。だが蓄えられた知識は外部媒体を通じて伝承される限り滅びず、その認識が上級の秩序であればあるほど古びない。すなわち価値としての知財は富の上位概念。
 いいかえれば情報量としての豊かさは群生技術の産物であり、その蒐集は蓄財のたくみさに基づくのだろう。
 一方すべて学識の集積はそれが進む程、生活形の常磐化をなしあたう様だ。生まれ育ちの安定はこの作用による。建築術的堅牢が特有の郷士を羽含む。法則としては生命が暮らす当惑星の恒星離心率が低いほどその恒常的特質が、逆に地表面の気候条件の乱れがこの変化へ特殊な類型を与えるほど風土的特質がよく収集されるだろう。