2009年2月9日

文学論

重要なのは知性を他の諸価値と混同しない事。理性による判定、それさえ知性の恩恵を被っている。知らず知らずの内に、理性は飽くまで知性の部分集合を為している。それが後自然学の所残であった経歴書に高らかなのは哲学のいとなみが自然学識を同時代の社会的実践へ折衷する業として、常に理性が与えられ直して来た、という成長律だから。
 感情を尊重する事は知性と矛盾しない。それは技術的本性なので、少なくとも数理学と社会学の間に属する何らかの獲得形式の換言へと定義される。
 何故なら純粋な知性の、現象への還元を通さない思考作用の記号による抽出が前者ならば、後学には恒にここより経験識側に論理を推し進める他の目的がない。もし純粋な知性の身の探求に知性が終るとすればそれは一切の社会的な有用性を失い、記号のパズルにしか出なくなる。尤もそれで大半の数学愛好家自身は困るまいが。ならば、帰納法は本格的には社会学的な方法論で、演繹法は数理学的なそれである、と考えるのは大雑把には論理学野の整理に適うだろう。いわれるところの仮説証明法、abduction、仮証法はこれらのどちらからも認識を借りつつ展開する自然学的な真理の探求に最もよく適合していると思われる。スコラ学の二の舞を踏むつもりではないが、最低でもこれらの哲学的基礎付け、つまり認識に関する批判は凡そ実務の立場からさえ思考の節約に、労資の省力に有用であると結果できると思う。例えば、ごく紛らわしい名称で自信作を形容したものだが、パスカルによる数学的帰納法は哀しいほど演繹的思考形式の典型を与えるに十分な事を鑑みればいい。つまり概括であれ全ての哲学が、科学の分析に対する総合なら学問の方法論の錯綜を成るだけ混乱を防ぐ様に設えるのは一つの有徳な理性の命題ではないか。
 我々には社会学の最終的実践法に倫理学を、いや学をというより正に行動を置くのが、徳義の不変を謳った『文明論之概略』以来、この国で至善に止どまるべき大学の、修養の目的である、とも考えられる。知行合一が武士の掟であったことは、陽明学と朱子学の対行を先に知り後に行うとした後者の流暢さを暗に許さぬ殺伐たる現実に即して中江藤樹ら、士族にとって前者が拠り所となった理に等しい。いいかえれば、日本に於ける陽明学派は福澤諭吉に至って質的変化を伴い、その道徳規範を数理学、自然学、そして社会学そしてmetaphysicsの正順へ整え直したのであった。物ありて後に倫あり、とは彼が徳義の不変さと両立する理念として、少なくとも士族層へ知先行後の回復を批判した精神の表れだろう。そして、当時にもこの種の理性を意義ありと認めた実践のさなかに生きる意味ではプラトンの理想に最もよく当て嵌まる防衛者の様な哲人、も現れた。
 そして感情と理知とが最もよく合致する点は、畏らくは社会学の根底に措かれた演劇の工学に至る。何れの倫理思想もそれが実践を伴う理念である限りは、実は劇作法、ドラマツルギーの研究だった。コペルニクス的転回とは社会学の最終的内容が、本当は演劇手法の研究であったというまさに劇的な論点にもカントが依然として無知であったこと、無論誰しも比較的にしか対象を認識しないとして、彼にとっても又、アリストテレスの幸福主義から自由ではなかった事情を照らし出す。政経活動とは人間の演劇芸術的群性すなわち芸能であったからには、哲学および形而上学ないし後自然学を汲む所の総ての社会学は劇作術の学問的論証の作業に過ぎず、他ならない。これが文学の種別において、科学と哲学とに分岐しだした西洋学または単に洋学が史学の立場からすれば、根本的には唯一の道でしかなかった説明である。それらのどの学問も記号法により、何らかの認識を或いは表象機能を能え直す文についての学。