昼行型生物の概日リズムが一日より若干長く、ロドプシンの合成でリセットする仕組みが淘汰されてくる理由は、夜行型の生物には視神経の退化が見られる事情と照合する。乃ち光量に感覚を依存する度合いが強い生態的適所に入り込む程、この生物の概日周期が平均より遅れる変異は明るい内に寝静まるという危機を避けやすく作用する限り優位なのである。逆も然りで、いいかえると夜行型生物にとってはロドプシン・リセットのシステム群はその不利さの限りで目のよい種類の餌食となる確率を意味しており、彼等の生態的律動がおもに視神経以外の条件付け刺激に敏捷となる傾向をも場の適応形質としたろう。
こういう暗なる仮説に説得力があるとすれば、視神経系の明順応の速さを昼行型動物の諸体質に殆ど例外無く発見なしえ、更に夜行的と分類されるものに逆の、暗順応適性の遺伝形質傾向をみつけられる限りであり、尚且つ幾らか多角の実験で視紅合成組織と活動に導く生体ホルモンとの必然的連環が検証されたともなれば、しばし定説としても構うまいが。
ともあれ確実な事象として医学的応用の見地からすれば、暗所でレチナールから視紅を再生するビタミンAを副作用抑制範囲で投与すれば、多くの後天的不眠症の予防をロドプシン・リセットの観点から凡そなしうる。
より重要なのは初期の走性からやがて視神経への系統的発展の経過を分析することだ。それにより別の系統を辿った生物種を見分けられれば、つまり視覚依存の度合いが少ない動物にとっての生態的地位を詳細に叙述できるとすれば人類の感性が唯一不変ではない証拠にもなるだろう。実際コウモリ、梟の様な種では電磁波またはそれに類した視聴覚から遠い現象を感覚器で捉えるという形質を観察できるのだから、人間原理と呼ばれる思い上がりは全く地球に於ける無知識時代の傲慢と見下げられる価値しかないものだ。地球外生物学にとってさえその無用の定義は早晩極めて有害な科学検索下の差し障りとなるとして。尤も、信仰上は是非なくてはならない理念なのは誤りない。万が一にも人が第一の生命体でなければ、かれらの協同は利害に法とると主張する原因を喪失するだろう。