2009年1月17日

個性教育論

嫌々ながら勉強させられる学者よりは嬉々として働く配達夫の方が幸福である。教育の目的は個性の卓越へ向けて形質の琢磨を図ることだ。一様の個性、又は没個性は寧ろその悪影響の結果、教育の失敗として示されると言える。習慣を任意の目的へ仕付けるのに適した環境が、その個人の生得また後天的形質にとって有意義な場合、教育は成功する。
 随って、いわゆる修身・斉家・治国・平天下を目的とする君子育成の機関を任じた大学教育の意義は、広義の教養教育の部分集合、乃ち基礎教育であったと一般に日本人は考えてよい。常識は大学の前提である。人間にとっての幸福が彼ら夫々の卓越により生じることは、為政役だけが郷士に普遍の道ではない、と説得するのに十分な事実なのだから。