現況国内への財政赤字を政府が解消するには、二つの原則がある。
1.無駄を省く事
2.税収を確保する事
1.の為には天下り排除や省庁統合、可能な限りの民営化といった体制の絞り上げが必然である。
これには日本史上で常々独裁を敷きがちな軍部を完全に統制仕切る為に防衛省をまず廃棄すべきは疑いを持たぬ。内国のヤクザすら鎮圧し切れていない前近代的な危険さから言っても、軍隊の発言力は単なる内外自衛の警察権力の枠内へ絶対に治めるべきなのである。
2.の為には消費税の底上げが物価高騰を抑えながら税収を確保するには必要だと経団連が主張しているが、現実には「格差」という努力に由らざる配分への不満が民間を流布している現実から見れば、その対象を工夫する可なのである。
即ち、必要悪や高級品目への重税に対し、日用品や公益に類する奉仕への免税を図るのが賢い。
例えば酒煙草、或いは法的に容認されている猥褻物[その種の漫画アニメ等サブカルチャー品含む]、もしくは芸術作品の流通等には大変に重い税金を科し、代わりに先進国中でいかにも脆弱な土地住宅関連の税金は軽減するのがいい。
特に芸術作品の流通へ高い関税を懸ける事は先進国での不安定なゲーム的投機バブルから脱出する為に、よって国内での安定した芸術創造力を競争原理から中長期的に抽き出す為にも有効な方策と言える。
別の言葉でいえば、国内で創作された作品の流出を防ぎ止め、代わりにできる限り高い関税を通過してくる高級品目に応じてのみ国内での美術市場を活気づけるのが、大衆文化一般への迎合のちの低俗化を塞き止めるのにも有効なのだ。思うに貴族の高い趣味から生み出された稀な芸術こそ、民衆にとっても本当は「有り難い」のである。
イタリア・ルネサンスがあっという間に散ってしまったところから見ても、芸術市場を政策的に単に放置しておくなら結果としてはバブル景気に乗じるものと言わねばならない。保護や監察は却って自律した文化創造を摩耗させるが、少なくとも日本庭園を見守る様にその理想的かつ持続的な成長と調和の為には屡々、剪定師を雇わねばなるまい。それが「趣味裕かで良識ある有閑貴族の階級」、少なくとも政治・経済的には無意味な彼らの生態の養護なのである。
英国ではかれらを紳士と呼んで来た、そして来るべき大衆民主主義の堕落からの脱却を計りうる唯一の勢力がどこから芽生えうるかも同じく。