近視が現れる原因が遺伝でなく習慣にある場合、それは大部分、寧ろ近代生活に於て近くの作業に眼球が適応しようと変わった結果なのである。この点で、近代医術が視力矯正をのみ目指して無理に眼鏡やコンタクトレンズあるいは眼球手術をさえ試みたのは、生き物の自然からすれば誤りである。つまるところ近眼は近代化の並行現象であって、寧ろ人類の進化にとっては仕方ない適応形質なのである。
方針として、近場の作業に適応した眼球について、少なくとも日常生活に支障がない程度までには遠近調整機能を養っていくこと、則ち裸眼養生の習慣づけを方法論として多岐的に与えることが習慣型近視の医術が為には、より良い治療の筋だと私は思う。眼球のピントは毛様筋・Zinn氏帯(スポーク帯)・水晶体の連携によるというのが今世の通説である。ならば、この各々の機能を日常に鍛え、養う習慣づけを与えられれば、後天的な強度近視に至る人はかなり少なくなるだろう。
対策として、先ず人の眼球の標準焦点とされる6.5m以下に適応値が下がっている度合いに応じて、それぞれ相談者の生活事情に即した裸眼による遠見の工夫を与えるのである。例えば4m前後の人には2mほど先へ焦点距離を敢えて落とした遠視用眼鏡を日用リハビリ道具として与える。或いは50cmまで順応している場合はまれな遺伝ないし眼病の症状がなければ殆どがデスクワーカー型であるから、卓上作業に際しては裸眼を原則とし、日常では中くらいの度の矯正、外出事は必ず強い矯正をかける様にとバランスよく養生へ導くべきであろう。
また今、ある程度の薬学的根拠をもって次のいくつかの箇条を現状の治癒材料として挙げられる。
・アントシアニン等の色素摂取がロドプシンの再合成を促すこと
・ルテイン等のカロチノイド物質摂取が黄斑変性症や白内障を防ぐこと
・副作用を生じないだけ適量のメチル硫酸ネオスチグミンの目薬等による点下が、コリンエステラーゼの働きを抑えてアセチルコリン量を増やす中で毛様筋の活性化につながること
なお注意を要するのは近視症状に併せて水晶体その他の細胞気質が生まれつき弱い人がいる可能性を否めないことから、これらのリハビリ治療を非常にゆっくりとしたペースで行うことである。異状が現れたら即座に治療法を停止して、要因を考慮してこれまでの消極的な矯正型方法へと方針転換をしなくてはならない。
思うに、これまでの眼科医術では次の事が見逃されてきた。即ち、もし先天的遺伝ないし病源によらない一般の仮性近視の患者へ、リハビリテーションを薦めないままで矯正措置を強いるなら却って、そのつらい矯正状態へ更に前と同じくらいのきびしい適応課題を科すことになるのだからピント機能回復という合目的の為には逆効果なのであった。これは眼科医学の応用法にとっては明らかに錯誤の類であったと認めなくてはならない。健常という曖昧な定義の過信が、目が悪いという言葉により偏見を与え、障害阻止を優先して適応的獲得形質の習得者たちを患者あつかいしたのはひとえに近代医術の哲学幼き傲慢であった。そして改めて近代化に伴った近視傾向は人類の進化にとっても自然であると謂われなくてはならない。おそらく未来の文化人類は我々より柔軟に視力を調整するすべを、道具によってか遺伝によってか獲得しているであろう。
さて、ところでいわゆる老眼に対してはこれらの逆の手順を深慮を込めて図ることによってピント機能の老化症状をなくすまではいかずとも、今までより遅めることはできるはずだ。つまり眼球細胞の老化はこれへ適度な運動を習慣づけてある程度の若返りを図れるだろう。
薬理を踏まえながら近視用の眼鏡をリハビリ道具として与えること、或いは強度の老眼については裸眼による卓上作業を習慣づけることで少なくともその進行を遅められるであろう。これらの試みを我々は今までの矯正主義眼科医術に対して回復主義眼科医術と呼んでもいいはずだ。