2008年8月17日

自由化と保護化の調整

例えばJRでは車内放送のvolumeを耳障りな程の大きさで伝える大衆趣味によって一時代の典型な移動媒体となっただろう。しかし未来においても永久にそうであるべきではなく、より安価で放任化した手段も、又より高価で気品ある手段も「客層」に応じて併設されて良い。大衆車両しかないことがもたらす文化、即ち《均質文化》は如何なる意味でも最善ではない。それは慣性によって自己発展不可能の衰退をのみ目指す生態の集合であるだろう。つまり経済発展そのものには微積の限度は有り得ないのである。
 規制緩和を計るに当たっての注意点は「保護産業」を民間のthink tankを利用して厳正に検討することにある、当面の課題へ怠惰な組織を動かすのが精一杯である誇大化した政府には長期的洞察が欠けるから。
結局、自由化による最大の欠落は、悲しむべき官僚の保身を除けば長期発展を原則とするが故に、短期的競争力に劣る分野への壊滅的打撃なのである。慎重に保護されてこそ公益に類する産業形態は確かに存在するのであって、例えば伝統工芸や地元商店街の有する文化付加価値は大量生産のチェーン店に如何としても替え難い。思うにある総合政策に必然な分野以外の産業形態について保護化か自由化かは自治体ごとに任意に択ばせるべきで、全国を一律化する益は「適所の多彩化」という付加価値原則にとっても限りなく零に等しい。いわゆる「infra構造の基準」だけが一元化を大抵必要とする部品である、例えば鉄道の線路幅や電波域は政府の介入なしには市場へ無用な対立や混乱を来すものであるからそのある程度の規則統制は少なくとも技術革新に矛盾を来さぬ限りは要請されて良い。