人間達の中では人間性しか問われない。併し精神性は暫し彼等にも必要とされる。人間性と呼ばれるものは精神性を目的とした動物的徳目の昇華。単なる動物ではない者を活かす国だけが精神性の王国を見つけ出すだろう。自由民主主義は人間性の終わりでは有り得ない。何故なら精神性の発見は常に人間性の更なる昇華として現れるだろうから。自由人は又、揚棄さるべき段階。近代化を超えて文明を推進させるには人間性を精神性へ向け改造しなければならない。価値観の相対的多様性、無際限な個性、それらの対立に超越的優位を得る迄、どの議論もideaが為に留める事ならない。究極の精神は人間性にとどめを差すだろう。我々は究極の精神が全世界を解体して行く事を望み得る。自由を乗り越えて大義を打ち建てる者を望み得る。凡庸の精神を憎み、あらゆる均質化への圧力を絶対的優位から打ち飛ばす偉大な精神を求めうる。その様な民族が現れた時に、自由民主主義は修正されるだろう。人間達は調整的正義を国際的に回復するだろう。究極の精神が現れる国が在るなら、彼等は次第に自由民主主義の中で力を蓄え、機会に及んで維新を図るだろう。そこにあっては商業至上の世風は消滅するだろう。究極の精神が支配層を席巻した国が現れれば、忽ちに国際社会も一変するだろう。この種の国民律だけが如何なる困難にも屈せず国際平衡を回復する為に全力を尽す事ができる。