模倣適格と独創適格とは、カントの考え方に関わらず別個の才能。さもなければ進化論、ということも不可能になる。破格とは既存の思考方式とは異なる概念からうまれる。従って模倣適格は永久に既存潮流の内部でのみ栄えるだろう。
独創適格が軽視される場所では、発明または発見ということはありえない。故にこの類の場所では繰り返しだけが行き着く場所。学問と芸術とは根本的に異なる分野ではなく、前者は真と善の、後者は美の文芸である、というにすぎない。だから科学ないし哲学についての独創適格という事はやはりありえる。
そして模倣適格が目的とされる社会、例えば大学にあってはその場から独創性が育まれることはないだろう。だから、学問の天才を呼び覚ます場所は常に教育の外側にある。Railを敷きかえるには徒歩であゆまねばならない。