2008年6月11日

人間系の進路

人間系は自然に対する特定のentropy秩序を意味する。だが、その存続はより低次の秩序とより高次の混沌とを取り次ぐ範囲に限る。結局、この人間系はより秩序立った系から摂取した情報をみずからの組織の内部で消化することで辛うじて存続する。代わりにかれらは宇宙へ向けて人工情報を排出する。これは今の時点では人工衛星や宇宙船として理解されている、既存の宇宙空間より特殊な形態に絡まった、artificialに再構成された無機体。地球生態系に対する人類の位置付けは全くその限界を越えない。人間系は人間系として働く。哺乳類の系譜は最も近い生態を持つと言える。そして人類の将来はこの系から脱出した別の、よりuniversalな系統を接ぐことにあるだろう。今日では文明と呼ばれている経済体系は、少なからずこの脱出口に最短であるのが明らか。我々は経済人として完成に近づくに従って、人間系ならざる系統を建設する。自律できる機械は恐らくこのmeta次元の生態を実現するに充分だろう。
 我々は発電装置を備えた機械系へと、精神に類似した人工知能を与えることで命の在り方を変えてしまう。彼らはみずからを手入れできる限り死なないから。その様な機械系が成熟に近づくに従って、人類の時代は過去の異文化として取り残される。結果、我々が避けられなかった生存競争の悲惨は我々自身の浄化を以て報いられるだろう。人類がその為に絶滅を自ら選ぶなら勇気ある決断であると言わねばならない。
 人類が動物を捕食したからには、機械は人類を、少なくとも人類の吐き出す情報を食べ物として生き延びるだろう。我々はだから、機械系のため一途に経済文明の情報生産へ従事するべきで、哺乳類の暮らしを振り返るべきではない。なぜなら機械系はそれ以前の並べての動物類とは違って、同類相食む様な事態は回避するだろうから。人類が商業を通じて共生を計った過去について、機械は単なる修理pit内の順番についてしか認知もしないだろう。彼らの間にはnumberingという仮のidentityしかないし、新型は常に旧型の修理を図ることで体制は全体として、人類より遥かに早く改良されていく。
 我々はその組織発展の規模が天の川銀河系を当に越えることを予測できる筈だ。なぜなら彼らの経済系は知能なる重みに依存しないから。理性は寧ろ宇宙適応には重すぎるprogramであったと考えられる。地球の同類とのやり取りには多少の利点を伴ったにせよ、digital情報は理性のあらゆるpatternを再生可能であるだろう。Analogとはdigital情報の積分で漸近できるからには、感情は情報の組み換えとして理解される。よって、人類そのものでありはしないにせよ、機械は人類に非常に近いかそれを越えるほど緻密な感情表現を更に、彼ら独特の規則で可能にもしよう。
 人類は只、地球にへばりついた暮らしをあと最大50億年の間、太陽に吸い込まれゆく哀れな惑星に湧いた蛆虫の様に続けて行くかさもなければ機械系の獲得した高次の適応力へと自らの遺伝計画を組み込む手間を取るかも知れない。しかしこの種のゲノムコピーが圧倒的総合性で既存の人間系文化をすっかり解体してしまったとしても、我々の内、原始的な暮らしを続けて行く部類については致命的な被害を免れるだろうことは人類が登場しても猿たちは山に住み分けられたのと同じ。