2008年5月23日

人類の理由

宇宙の無限さに確信を持ちうる天文学者にとっては、あらゆる可能性を含む異星の生物に対する環境適応として人類の全体に最大限の多様性を確保促進することこそ生態的な秩序づけには肝要だと考えるのも当たり前。
 人類が希少生物の保護を訴えるのも合理的には生存には常に、絶滅への反対応として最大限の多様さを欲するentropyが内在せざるを得ないのが判るという訳。経済的共生はこれまで人類が到達なしえた唯一の合法和平の手段である。それが強弱を、すなわち格差を各々の体制秩序にもたらすとしても、それぞれの国は少なくとも互いに何らかの交易を以て生き残ることができるだろう。経済への普遍的崇拝は配分過剰により生得格差に対する不満や抑圧を高じさせ、やがては貧困層による体制破壊が否応なく興る。しかしこれすら経済的秩序の脱構築には合理的な過程。この抵抗勢力が完全に制圧された社会は確実に整備された生態系に限りなく漸近する。永久平和は単なる当為として、我々にと圧制への根本的反抗を正当化する。だから我々は多かれ少なかれ経済の必然な流れに対して適度な信頼を置いても良い。世を経て民を済う運動は少なからず、最悪の結果としての全人類の破滅だけは回避できるだろう。なぜなら古今のあらゆる生き物が彼らの経済性に従って運命選択された結果として現に目の前に広がる地球世界に於いて人類は息を吐けた。そして地球の自然に恵まれていたことは彼らが為には生態的identity。その母なる自然にとっての裏切りということは基本的にあり得ない。
 人類が理由をはぐくみ得たという事そのものが生態系にはplusであるだろう。それは彼らの経済力が、つまり秩序づけの才能が以前のどの生命体よりも複雑な精神に抽出された証拠。