2008年5月27日

魂のありかとしての自然

自然は目的。文明は寧ろこの勢いを養いうるに過ぎないのに、よく勘違いする。我々は自然が示す以上に賢明な摂理を知り得ないし、理論は単に知性への慰めの意味で合法則的なのである。諺のとおり自然はつねに法則の例外を示すことで、我々の知性の成長を励ますだろう。だから科学という遊びはいわば自然との一人相撲なのに等しい。ともあれここで編み出された戦術が、人類としては高度な世渡りの知恵なのも確か。
 汎神論は一神教の角度。因果律に特異点を認めるか認めないかの違いは、精神を魂と見ずに不可分な個と見なすところの思い上がりに近しい。故にデカルトへ聞くが宜しく、彼には松果腺が精神作用の一部分であることが理解できなかった。全能性は生体の共通して目指すところ。