自由主義の過剰による悪禍を未然に防止するには、服の復興が挙げられる。洋服洋式を外装として、家内では古風をもって還す「様式の切り替え」は多くの部分で、欧米型社会制度の持つ矛盾を中和することになるだろう。国際語としての英語が我々の心情表現を外装するに適するが如くに、家内での分け隔てない感情表現が為には古来から伝承し発酵させて来た優れた国語が良い。
注意すべきは封建制度の諸悪弊までが胎内的に復活されてしまう危惧だが、この対策が外装の洋式化を究極まで徹底することで計りうるのも疑いない。そして嘗て育みえた種々の文化素子はひとたび人の琴線に触れさえすれば、いとも容易に回復しうる。結局是らは一国二風が我々の国風を比類なき珍しいものにする源流と成りうる事を示唆している。
同じ事は日本国家のあらゆる部分に当て填るので、整え尽した外装は却って室内の伝統保守を呼び込む契機となる。よって英語が公用語として流通すればする程、却って我々の国土には多彩な記述や神妙な感情伝達が行われ来るだろう。