売れ残り弁当類はこれが家畜飼料としての悪影響が無いと判明するまではバイオマス燃料に向く。判明が遅くなれば人間が実験台になるのだから。孔子は廏焚の際に馬を問わなかった。高次消費者のお下がりは少なくとも低次分解者に至るまでの生態系で捉えるべきで、中途半端では却って排泄物のそれより不自然な結果が出ないとも限らない。いわゆる生物濃縮。
例えば古く猫まんまと呼ばれる餌は我々の家畜ではないペットだからこそ高次消費者のそれを通用し得たのだった。彼らの優秀な内蔵器官による消化作用はそれを、より分解し易い段階に薄める。これは自然の責任分担と呼びえる。いいかえれば、人工物を食べる家畜は不自然なのであるから、これが一種の人工肥料による産物なのは疑いなく、遥かに我々人類を育ててきた食の安心を頼るには未だ足らないだろう。