数学は科学の道具である。ともあれ、この道具の精度がそのまま科学理論の射程をも意味する限り、我々はその切っ先を研ぐ必然を負っている。
論理学はmathematics・学ばれるべきものの一野。これは記号論理学として既に歴史上、各国語の文体学・grammatologyから分節されているのだから。教育に際して此のみを別個に取り出す理はない。寧ろ詭弁術・レトリケーの増長は民をたぶらかし国を滅ぼす実例甚だしきが故に、総合判断力たる審美感情を育む文学つまり過去の文献考証を論理学単体より尚も優先するがいい。目的を誤つ論理は恰も無法者に渡せば害のみ。なおこの文献には、記号を用いて書かれたすべての書籍を精選するを得る。