人類が学習動物である限りは一夫一妻を既存の最善人倫とすべきこと、疑いを待たず。狼少女の例を引けば、尋常の人類がたとえ孟母に匹敵せずしても、社会教育環境に欠けば乃至三遷を余儀なくもしよう。凡そ愚鈍の種類は子孫教育の必然を悟らずして多産なれば即ち名馬ならぬ名人を擁しうると浅考し、不倫の迷いを行く。故にこの種の子孫が一様に愚鈍なるも因果なきことに非ず、孔子も曰く郷原は徳の賊なりと。則ち無教養は愚鈍種に愚鈍種の繁殖を重ね郷党同類を生涯出でぬ道理ならんや。
又カントの三批判書に曰く、学は後天、術は先天なりと。 且つ君もし世間一般を通常に観察せば勉強家の子孫はおよそ勉強家たる確率も多し。これ後天的な学習行動そのものにも多少の天分が必要なる所以と考うべし。たとえば小学一年先に尋常一様の授業を行いて試験成績に全く一様ならざるものあるとは何ぞや。単に家庭環境の違いにのみ帰すべからず。世に云う利口な子、馬鹿な子とはこれらを孜々として教育勉強せしめざれば生まれながらのいやおうなき知能差を生涯縮めることあたわず。
よって、芸術の天才の如きも様々な学の天分がある配偶時、傑出した先天性に遺伝結晶したる由縁と観るべきもの。此を「正の突然変異」と呼ぶも可ならん。
退化は生存の目的にあらざるなり。世間に善良の人間少なからずして後天支障ある生活者を打ち棄てる非情に甘んじえず、彼らを積極養護し、多様種の特殊例として保存せんとす。我かの生業を現代人間の美談とすることに異論なしといえども、もし先天に一切不具合を有する種と判りし場合に当たりこれをかなしくもただ奇形と見なし、河童の如く流産する者の是非を咎めず。ひとえに、人間文明の繁栄は進化を目的とすべきこと明らかゆえになり。品種配偶は「選良」を家系目次と為して然るべし。
既存の社会形態を脱構進歩なしうる才能についてのみ、我々の希望ある人倫を託すに足るなり。しこうして普通期待される既存能力に対して格段に劣る種は人品の淘汰に逆らう理由なし。唯、後天のそれを人情の慰安として毫も粗末に扱わぬよう務むる可こと。かの倫理を豚児憐れみの麗と呼ばん。
民度成熟せずして西洋世に不倫横行し、愚鈍退化の兆しあり。民主立法の本義を過ち、公共福利をかろんじて利己中心に傾き光源氏的乱倫を赦す紀勢に陥りたり。
もし以上の道理をおのずと理解する者あらば、かの西洋文明のほど近い没落も予見しうるべし。源氏の没落は多妻の罪業に他ならずや。則ち、子孫に家庭教育は必然なるを悟らず類人猿同然の倫理崩壊を犯し、却って急激な滅亡を自業自得する醜態のみ。集中権力はみなことごとく腐敗し倒れるものなり。驕れる平家も久しからず。その深部を権力中枢にありて虚構も巧みに断罪せし紫式部の本懐が、もののあわれにありしという本居説にもかの倫理崩壊に伴う道理を洞察せし慧眼の趣きありぬべし。
曰く配偶選良の念に綿密が加わるほど世間一般の交際気風に美化ありと。此を以て複雑神妙なる求婚法なければ一切の文彩無用にて、露骨不躾なる継に社交の芸能が進化せぬ理屈と視るべし。
旧く武家に紹介先の宅にて出されし茶に口を浸けねばその気が無しと判じるだけの機敏一般にあり。されば又世間に気兼ねし容易に我が侭に及びえぬ往古の選良の念に如何に慎重を期したか、その丁寧微妙の程を顧み再び今の参照にも足るべし。