2008年2月1日

社交性の展開

社交性の洗練は寧ろ奥手を目指して進化する。西洋化は社交性の面から観察すれば過ちであり、野蛮化・退行に過ぎない。これはある種の抜群の才能がどうして生涯独身であったかの理由でもある。彼らの生来した才能とその文明に貢献しえる効果に比べて、異性交際に掛る労力は遥かに不経済だった。その上、異性の独占には自然の限度があった。彼らに徳があれば先ずは、彼ら自身の過度の血統遺伝は省略する考えに至るに違いない。なぜなら変異自体を繋げるより、変異によって獲得した文化形質を伝達する方が、一族の発展に益する。そうしない場合に比べて自らの福利が増す場合、これは我々が学習伝承、又教育と呼ぶ営為となったろう。
 心理学は人間生命の目的を他の生物と同等視するという過ちを侵した侭であり、昇華が成功防衛として単なる性的な合理的解決よりも人間社会にあっては価値が高い事を悟らない。単に考えなく繁殖活動を行う者は本能に過ぎず、また彼らは減退させる事はできても消滅させられはしないので、あらゆる文化は人口解消によっては決して亡びず、逆に、文化こそは民族の理性により築かれる。そしてそのような国家的昇華に携わる文化人達において已、貴族性というものも明らかに示されている。
 フロイト流の近代心理学の解釈では、彼らを人類生物界の犠牲ないしは挑戦者と見なすだろうが、事実上、人間社会では誰しも多少あれ昇華を以て家計に換えている。つまり人間界への適応行動は寧ろ昇華を目的としている。文化人こそが、人間界の先導者である。性欲、libidoは生物の目的ではない。逆に其れは種の繁栄という目的を実現する為の、しかも本能という卑小な一手段でしかない。人類は社会的理性によって哺乳類から峻別される。単に繁殖し続けるだけの合理的解決体系はいわゆる未開社会で既に観察可能だった。文明化とはひとえに、昇華の体系だった。そしてその文化の無際限な積み重ねの連綿だけが文明化された社会、理想の社会、より天国に近いと表現されえる世界へと現実に至る可能性を持つ。Neoteny化という通奏低音もまた昇華の体系という人類文明の基本潮流にとって必然な理由はここにあった。人間の早稲化は社交性の退行に過ぎない。成人年齢は引き上げるべきではあれ、引き下げるべきではない理由も同じく、ここにある。