2008年2月26日

教育協同組合論

学校とは経済的圧迫を疑似的に解除することによって、かつ、またそれは学問の自律によって当代にのみ必要な知識研究へと人間理性が政治の手段化されるのを防ぐことを兼ね、学ぶ者たちへ学問に専念できる暇、すなわち、schoolの語源たるscholeを設けることだ。学校とは社会的moratriumの一応公認された装置であり、また同時に、学問の開発部門として特別に設計された会社、associationである。又もってこの種の学校のうち、政府管轄から独立した大学法人とは、謂わば教授会による学問教団である。この種の学問教団は全くそれ自体としては知識商売の会社である。もし商売とは最も負債を残さないもてなしの仕方なら、日本では物品による慣例的なお礼省略のため私学の福沢が始めた、比較的新しい風習である彼らが学費という方式を通して学部卒業の資格、学位を就職の道具化するのは、まさに大学という組織形態が暗黙の社会的容認の中で、学問教団としての地位を徐々に社会予備校化していく過程である。つまり、大学というものは我々の社会が学問教団に対して与えた会社的自律の名義に他ならない。そしてこの類の教団会社は、主として学部教育の学費から無限に、大学院における教授の閑暇の差延を搾り取ることを通じ、全くそれ自体として自由な研究を可能にする。Associationism、協会主義とは、学校主義と言い換え得る。凡そ営利企業のような社会実践的な要求は大学において、何らかの技術に結びつくような応用科学でない限り、哲学つまり社会学の上以外の教育ではほぼ全く止揚されており、従ってそれそのものを目的とした観想の活動も、大学教授の名分により公認された社員の自然とされる。ともあれparadigm shiftは常に脱構築により興る。当代の学識を根本的に革新する理論は、学外において発見されること希ではない。よってこの種の学問教団の長たちは、みずからの知識会社の外部における多大なる学問成果を、学位授与という方便により合理化し、なおさら自らの権威を保護しなければならない。と同様に、これらの拒否権をいずれの教団に属さない個人学者にも必ずや認めなければならない。夏目漱石が文学博士の学位授与辞退を貫いたことはまことに正当であった。なぜなら彼はその種の権威づけが姿を代えた爵位の制度であると見抜いていたからだ。さもなければ巨大教団において、健全な自己反省の社会的規制も不可能になる。例えば、この組織はそれ自身では自治的であるから、academic harassment、学内の嫌がらせは外部監査以外によっては何ら粛正できないだろう。又こういった絶えざる批判矯正の機関が、大学組織の経営命題として科されるべきは疑いを待たない。所詮は静的なかたちで診れば教授たちを中心とした宗教結社である限り、ともあれば内部における権力の濫用は生じがちなのだから。これらの不条理に対して膨大な経営性を伴う大学においては、全く外部監査機関を通じてしか自己批判することはできないだろう。
 およそ史上、学問の府はつねに当代の政治権力と癒着し、退廃しがちである。極東では儒学が、西欧ではスコラ哲学が同時に宗教権威とされ、絶対主義政治の奴隷とされた。これらのもたらした結果は中央集権の腐敗による、いわゆる神学身分の世襲化であり、民衆生活の圧迫であった。いずれも市民革命、或いは日本では敗戦により解決されるまで、真理の発見を様々な悪業で滅却しようとし、民間の利潤を阻害し続けていた。世界精神の必然が知らせるところによれば、最も早くこれらの退廃を打破なしえた国々からまっとうな近代化を果たしえたという事だった。よって、我々は大学組織を政治権力との癒着から絶えず分離しなおすべく、その研究の自由に対して、逆に社会の側の知識水準を大学と併せて脱構築しなければならない。これを学識の社会的先見性と呼びえるだろう。
 我々の教育の目的とは、経済的不平等の問題から生徒を守りはぐくみ、個々人間の学問の努力を通じて単なる学識再創造の領域に限って調整しなおすことよって、その絶えず新たな社会環境への再適応を促し、文明の進化を妨げる諸障害へ柔軟に対処し乗り越えて行けるような人格を育てることにある。我々はプラトン学派のacademyにおいて自由市民の思想教育へとideaの自己目的化なる配分拡大の偏りに陥った事や、孔子の学園において仁という道徳律を絶えず新しく改革されていく科学に対する古書の聖典化という狭い領域に限ったことによる再適応の阻害をよく反省して、東西の元祖的教育機関がいやおうなく陥ってきたところの矛盾を揚棄する機会を温故知新しない訳ではない。従って、少なくとも近代文明において大学乃至はuniversityとは学問の努力を自律して再生させるような、如何なる学識の革命にも自らの組織改造を通じて適応することを義務とした再創造的な協同組合でなければならない。