本能による配偶は単に本能的な種を分化させる手段。恋愛結婚とは謂わば人間に退化させた獣的種類を再び殖やす為の政治制度。工業化社会では大量の労働・消費人員が必要なので、恋愛結婚制度の興隆は社会学的な善だった。
もし理性的な選択が最美となる社会状況が存在すれば、我々は最大限に本能を抑圧したお見合い制度を信奉せねばならない。そして情報化社会では技術理性としての再創造力人が適応種となるなら、我々は工業化段階の配偶選択を続ける種類とは別に、新たな典礼を建設して往かねばならない。本能人は趣味人ではないばかりか、その真逆である。
終身雇用の事務制度に順応させた工業化社会倫理は脱構築されねばならない。
凡そ、日本に於ては恋愛とお見合いの間に止揚された中道の結婚制度が、情報化社会に最適となって行くだろう。それは恋愛感情による配偶適意な趣味人の発見と、お見合い制度の伝統を活かしたおおやけな承認儀式により、以前より広い範囲から優れた家庭環境の建築に相手を見つけ出すことができる(情婚制度)。これは欧米型の恋愛中心主義でもなく、元来の儒教型の家系至上主義でもない。