2008年2月13日

女権の真実

一般に、女には過剰教育を与えなければ永久に男並の理知へ到達しないし、仮に教養に関して大抵の平均男子に比類し得ても判断力に関しては牝鶏を超えないらしい。これは学歴のある女性というものが同じ程度にeductされた男性同等程度の理知も有せず、その処世判断に於ても多分に劣る所を観察統計すれば解る。女性の出世というものは、既得権益の男性が贔屓できる分野以外では、例え機会均等を与えても殆どない。つまり、女性一般は一部の男勝りを除けば女々しく、男性同等の能力すら社会的に発揮するのは生まれながら希である。

 科学・哲学・芸術、政治や経済に於ても女性の絶対数は決して男性を超えなかったし、今後幾ら人類史が経過しても自然的性淘汰を逃れない限りその事態は実現されないだろう。女性は男性的能力を与えられていないが故に女性なのである。女性一般の特性は単に、比較的理性的な男性に比べて本能的というに過ぎない。それ故に彼女らは女々しさ又は女らしさとして知られる各種の家内婦人性を文化的生物学的に獲得して来たのであった。

 若しも人口抑圧の見世物をこれ以上社会的に虚構継続したければ、我々近代人は女性贔屓法というhandi capを制定する他ない。恰も男女平等を主張させる為に。
 真実に女性らしい女性はこの文明戦略の詐欺を見抜き、優秀な子孫を遺す為の家庭主義へと処世法を反社会潮流的に、古きよき伝統から再獲得せねばならないのだろう。というのは、彼女ら自身も又、その様な優秀な婦人の子孫としてしか生き延びられて来なかった。かつてより男性的女性の種は男性同等として扱われた結果、性淘汰されこの地上から減数してきたのだろう。