2008年1月23日

経済学

経済の美はpresenceにある。その商品を贈られる側つまり客が必要最小限のお礼で済むような行為を経済と人は呼ぶ。従って取引が福祉でありえる。搾取的な企業は福祉より功利を優先させて、客へ損をもたらす。道徳感情に従ってこのような企業はいずれ市場から淘汰されて行く。
 もし企業が究極の福祉体を達成すれば、それは健全な宗教法人と成りえるだろう。福祉以外には目的を持たない組織は、金利を単なる代替通貨として体内で揚棄できるからだ。その更なる経済化の果てにおいては、貨幣自体が運営上でなんら無用になるだろう。
 奉仕以外の方法で我々は商売の洗練を経ることはできないし、結局のところあらゆる企業体とは奉仕関係の合理化を日常業務とする芸術組合である。経済における企業主の損得は使用者的な感情に基づくに過ぎず、従って市場全体の受給均衡作用としてはつねに道徳感情の原則を外れない。もし利潤に価値があるならば、それが寄付の公募であることによってである。客は高すぎる商品には手を出さないし、寄付に値しない商売へは背を向けて行く。