2008年1月24日

政治批判

権力者は多数の人民の命を利用しながら自らの名前を売る為だけにでも戦争を好む傾向がある。
それは人間の本能に由来する利己心が実践的な理性の声を掻き消してしまうような、〈権力の腐敗〉である。
そして、人が本能を失わない限りつねに、権力者は「罷免」という抑制措置の断首台へとみずからを犠牲すべきなのである。
 蓋し、あらゆる戦争は対外的な危機に及ぶ国威の発揚という本来の面目以外に濫用されてはならなかったのだし、私益に憑かれた権力者は遅かれ早かれ失権するしかない。
国民総意の代表として、政治家は全体の無私な奉仕者でなければならない。

平和主義国民は如何なる国の干渉からも自律していなければならない。
というのは、相互不信が支配的な野蛮な国際環境にあって、軍備を盾に隣国を脅し、平和主義を標榜する武力放棄を誓った国民を何らかの私的目的のために軍事的に援用する、という《威嚇的内政干渉》がまかり通る危険性があるからだ。
 このような悪意に反撃する唯一の正当な方法は、自律的な判断によりヤクザのこけ脅しを一切無視し、飽くまで国連上告し続ける『通報主義』である。
なぜなら、結局は如何なる軍事大国といえども他国の軍隊をみずからの意志で動かすことは不可能で、究極では貿易封鎖のような消極的な手段により当該標的を揺すろうとすることしか国家的悪業の限度としてできはしない。これは、平和主義国民が国際法を遵守して行動し、尚且つ普遍的な立法の原則に基づいて自らをあり得るだけ道徳的に処する限り、彼らに対して万国の軍備がただの脅しの玩具に過ぎない証拠である。
ありえないことだがもし彼らを不用意に攻撃すれば集団的安全保障により、一斉射撃を喰い壊滅させられるのは当の脅しを働く悪徳軍事大国の側なのであるから。

日本国憲法序文にある他国無視の不可能性とは、あらゆる国家は国際的にのみ国家として存立しうるという内容を文面示すに過ぎない。
そこに国際支援の必然性は約束されてはいないし、むしろ外政不干渉の大人しい姿勢こそ真実の名誉ある地位に値する場合もありうる。
従って、自衛隊を通じたアメリカ軍への給油支援活動継続の意志に関する福田総理の国会答弁はたんなる詭弁であり、飽くまで論理的に深く非難詰問されねばならず、自民党権益拡張という誤った行政権濫用により、首相の役割を信任した善意の国民を騙したに同然である。