2008年1月20日

芸術論

人間が芸術を保養しようとする時、伝統芸能の保全を意味している。あらゆる芸術は伝統芸能の破格として現れて来るのであり、それは既成概念の脱構築を必然に要請する。

 文化の死とは芸術が硬直し、大衆にあまねく理解され、趣味の定型外は抑圧された日に訪れる。真実の創造は人間に理解されないが故に新時代の幕開けを告げるものだ。趣味は洗練されていく。未来人にとって理解され得ない作品はないが、現代文化に表れる芸術は常に、伝統芸能とはまるで相反している。よって、同時代の人間にとって、芸術は決して保養も感得もし得ないだろう。つまり、その文化流行が新たな潮流により時代遅れとなり、古典と見なされた時にやっと、既に伝統芸能化した流派は客観できる。これは流行の移り変わりと呼ばれる。

 政治は芸術の為に良識からの法規制以外を行い得ないだろう。体制に理解しうる作品の保護奨励は伝統芸能の強化という意味では芸術性の抑圧に等しい。それは大衆の為ならず政治家の自己満足に過ぎない。近い将来、文明が高まった暁には我々自身が芸術への奨励の不毛と害を悟り、各種芸術学校・文化賞の廃止を伴いながらその名義を伝統芸能の保護という概念に代替するだろう。