2007年12月5日

芸術論

いかなる芸術美も、自然美には及ぶべくもない。天才は神様のお分けになった再創造の力でしかない。我々自身の努力の如何程も、真実の全能たる創造主の前では無力に等しい。人間の万能とは、永遠に偉大なる父上の模倣の努力に過ぎない。我々は神様のお創りになられた無比の傑作たる自然から、単なる未完成の似姿としてみずから、僅かずつ、かの神妙なる御技を習いうるだけだ。抽象とは自然の本質的な模倣である。文明とは神様の御意志を自ら実現せんとする抽象の芸術であるだろう。
 神は畏れ多くも我々にのみ、地球において抽象の才能をお与え下さった。抽象は自然現象を愛でる為に、最大限の工夫を可能にするであろう。全て、神様は我々の才能を通じて、再び自然を作り直す課程を必修とされた。抽象とは、みな自然現象の再現である。芸術家は神様の直弟子である。彼らは理論の真と実践の善とを、技術の美において総合する。芸術教育は人為に反する。神様は愛弟子たる創造者の雛たちを、御自らお育てになるのだから。芸術の成果はあまねく、慈善の為だけにある。人工の創意工夫はあらゆる事物のいつくしみを通じて、神様の博愛を表現しようとするお手伝いでしかありえないのだから。どうしてそれ自体がよろこびである自主奉仕に私利の絡む余地があるだろうか。経済は余分な寄付を拒否する慈悲の道具だから。