2007年11月7日

現代日本進路

日本はASEANと台湾およびアメリカと親しむべきで韓国や中国とではむしろない。
従って、専ら共通貨幣を設けないままでの太平洋連合[Pacific Union]の構想は、東アジア共同体と呼ばれる辺鄙な着想に対して遥かに現実的であれ。

 韓国は自由化を示すとは言え飽くまで日本とは性格正反する文化である。日韓は相互に反発しあう事でしか共生し得ない水と油のようなものだ。
 もちろん中国は封建中央政府が存続する限り近代化する事は不可能だ。従って中国脅威論は拙見に過ぎぬ。
単に、その国家的意味は「地球人口の中央」として量的にのみ図られる。いわば質の期待できない巨大な労働者市場でしかなく、購買欲の喚起と言ったことは将来に渡っても失望が主になる。この点ではインドに関しても国民性に関して等しく、アジア市場というものはある種の生半可識者とやらが躍起になるほど甚大でも寛大でもない。そこは必ずしも成長しない。仮に成長するとしたら、イスラム諸国に比べて遥かにゆっくりとした速度であろう。
中国やインドの膨大な人口は将来に渡って「地球の工場」になるしかないだろう。

結局、優等先進国に変貌しうる文化風土を東アジア圏に保っているのは実質上、[反日米の観点から韓国を除く]台湾およびASEAN原盟だけだ。
日本が執るべき筋書きは見えきっている。日米同盟を太平洋連合に向けて希望に満ちて推進する事のみ。


 日本が道州制によってさらに強化された暁にさえ、PUはEUと急激な成長を遂げるイスラム諸国に対して最も雄大な繁栄の土壌となるであろう。
憂慮すべきは、日本は飽くまで『平和主義』を貫くべき一条である。
なぜなら、イスラム原理とキリスト原理の政治対立を単独経済力で和らげる事ができるのは、宗教に飽くまで寛大な日本人だけであろうから。それもみな万世一系天皇様のあまねき御慈悲故にあられると知らねばならぬ。