2007年8月23日

男女別義

数十億年かけて育んで来た地球生態観が朝礼暮改なしうる筈はない。よってfeminismは単に方便の増長をもたらすに過ぎない。白人社会で男女同権が適応的となったのはアメリカ文化のわずか200年前後の影響波に過ぎず、いずれ矛盾の露呈により愍滅されるだろう。
 市民化の方便として女をおだてる手腕に長けることが近代文明に於いて家族結合の知的水準強化に応用できたに過ぎない。もし博士の女性を未開人男性と並置すれば我々は格差が後天的に仕組まれる意味を悟るだろう。社会秩序に於いては男女の別、つまり性的異型がその単位時間分の配偶多様性について最も能率的なのは問う迄もない。ここへの分業は地球生態が育て得た貴重な天分であり、単なる平等天賦説の前には比較しうる真実ではない。以上を知り哲るには同性愛生物(雌雄同体)が総体として決して複雑な組織を発達なし得なかった史的事実を観察せよ。
 文明は雌雄を含むより多彩微妙な人間関係を養成する。それを単なる地球生態覇権飽和的退廃のせいに帰することはできない。人類は種の最大化を通じて社会を細分し、転回抱擁し、やがてはその中から宇宙人類の進化を誘なう。