2007年8月24日

社会的幸福論

幸福そのものは人間の調和を意味する。社会と自然の調和が人間を築く。我々は獣性から神性へと絶えず導かれる。人間には度合いがあり、個性はその多様観をつくる。しかし如何なる個性と雖も精神向上への漸進にある。知能は人類を獣類からしかと見分ける唯一の特徴である。従って精神性も知能の範囲にある。それは彼らへ特定の性格を持たせて遠類の不条理から離脱させた。
 人類は社会という新たな猿山を築く。そこに不条理が存在しない訳ではない。唯、精神性の恩寵によって生存闘争の不快な面が緩和されるに過ぎない。社会契約により人類は同類殺害を集団的に統制することにさえ成功した。
 だが実態は彼らとて獣類から完全に脱化した神類ではない。大脳は新皮質を末梢神経として構築した。それは聊かも基幹神経としての旧皮質の消滅に至って居ない。彼らの社会的拘束の一切を外せば人類種から狼少女は育つ。言い換えれば文明度は社会的にしか量り得ない。我々の社会が人間に幸福をもたらす唯一の手段なのだ。
 絶えず脱構築し改良して行く社会構造の文明化が人間を救済する方法であれ。それは自然の悲惨な混沌を不条理として抑制し、理想の漸近的実現へと絶えず時代を導く。