2007年7月13日

思索技法と時代内建築体系の批判

哲学は言葉を用いる啓発であり、且つその限界は言葉に規定されている。よって言葉の用法つまり修辞術に哲学の範囲は規定されるか。否。哲学は修辞術の啓発的応用で、文学とは別の言語表現方式。両者の差異は内容にのみ存する。なぜなら用いられる言語自体は、少なくとも過去において民族語でしかないからだ。
 文学自体は修辞美術に過ぎない。哲学は文学をも批判する、それは文学にとっての補集合。
 我々はカントの三元論に対して真ないしは善美の定義が形而上学的でしかありえない事をも脱構築できる。乃ち、両者の文字形相は文面上の差異に過ぎず、我々は適宜それらを生活行動の傾向に応じて使い分ける已。尚且つ、哲学にできるのは形而上学。我々は形而上学批判そのものを移行できる丈。哲学は非持続的体系で、飽くまで仮設建築術でしかありえない。その意義は伝統遺産にある。乃ち、ある洗練された特殊な技法が世代を超えて絶えず可能態として抽象的に用いられるなら、それこそが哲学の達成する唯一の真理なのは疑えない。哲学は思索技法の啓発。独創的批判体系への邁進はこの時代内建築様式の確立に役立つ已。