2007年7月25日

賢衆民主政

昇華された個体においてしか卓越した能力は見出しづらい。
それは究極のところ彼らの応用理性のレベルに還元されてしまうだろう[応用理性は後天性を含む]。

彼らの分業は個性が命ずるところ多大である。


 あらゆる世代交代は社会内血統の循環を要求する。
世襲制度から実力主義に到る分業精度は時代状勢に関して適当でなければならない。

リベラリズムは物質文化の為の手段であり、必ずしも精神文化の目標とはならないだろう。なぜなら和気は競争に反するからだ。
極端な自由主義は国家にとり致命的錯誤であると認識しなければならない。
 もし精神文化の興隆を目指せば我々は適度の社会的制限を科する義務を負う。
それは且つ最低限度の法律的な制裁措置という「限度基準」として現れるだろう。

自由主義は退廃した精神文化しか結局のところ、産み出せないだろう。
衆愚に傾かなければ多数決の原理は成立しないのだから――貴族は常に少数派足らざるを得ない。
 文明は世論を目次とする。
従って、我々は大多数の大衆のうち賢衆層を新たな文化標準と見なさねばならない。
中流ではなく、中上流の最大多数化が大衆民主主義の次段として普く認識されるべきだろう。