文学における理想主義は大衆世論には程遠くなりがちであり、彼らには理解できぬゆえ衒学だとか逆に無学だとか酷い場合には低知脳だとか、或いははたまた神格的だとか極端な評価しか受けられない。
時代美意識の啓発が文学の目的ならば、いかに幻惑低級的であれ現実主義の陣営にも一定度の自然がない訳ではない。すなわち近代小説様式は現代大衆の造詣程度に適当なのである。例えば脱構造的手法は、彼らの大半にとっては一生の範囲では凡そ理解及ばぬことなのだ。
私は今や漸近理想主義という改めた理念を折衷しない訳にはいかない。それは二次関数曲線のように、世論美意識の啓発を主目的に定めた現実の美化を微妙に積分していくような様式であれ。