産業革命以降の膨張経済はすなわち、理性教が生み出した人権侵害の教義だった。では彼らの罪業はいかにして合理化されてしまってきたのか。原罪またキリスト十字架とは彼らの傲慢を暗に肯定するため悪用されて来たのが現実。この狂信を脱構築するには彼らの原理である理性と信仰を相対化するしかない。理性と信仰が癒着したとき、それはlibertarianismと呼ばれる最悪の思考回路となる。自分自身を含むあらゆる人間を道具化する悪魔思想がそれだ。私はlibertarianismを否定せざるを得ない。人間の道具化は狂信に過ぎない。なぜならあらゆる民族に優劣はなく、ただ個性差があるだけだ。