2007年4月29日

物理学

宇宙はなぜ現に動いているのか。そのphysicalな原因。すなわち力の根源は何か。運動の理由は世界の単子が複数個である事、相対的位置関係の相互作用がなければ凡ては不動。
 なぜ複数の単子が存在し得たか。宇宙の始まりはどんな現象?
 運動に始まりと終わりを過程する事は目的論‐原因論の古代ギリシア価値観に由来する。おそらくは定常宇宙説の方がより事実に近い。
なぜなら最初の単子を仮定する事は建築的に不合理だから。創造主を人格化しなければ、宇宙の運動性が本来する理由を自体の必然内に構築しえる。最初の一撃というニュートン的仮定は退けられねばならない。
 宇宙の始まりが時間的なそれに限られねばならないわけはないから、どの時点の空間形相を始まりと見なすかは自由でなければならない。従って、体系が無から生じるという現象がありえない限り、混沌とは普遍的実在の全体である。
 Entropy増大則の適正範囲は?
 生物は此を調整する。彼らの運動状態はその自動性により、更なる混沌の別方式を作るに留まる。秩序とは形而上的な理由に過ぎず、自然の中には一つも存在しない、と考えて不都合はない。尤も、純粋理性の範囲外については未知ではあれ、これは知りえるものではないので考えなくてよい。
 十進法とgeometryの関係。
 それらが普遍である事は実証できない。
 地球環境と人間組成の関係、引力度や耕作習慣についてしか科学の必然性はありえない。彼らの能力についても同様に。純粋理性の命題でさえ星文化の原理主義に根付く。脱構築するには理性の限界に対して批判的でなければならない。彼らの中庸習慣的徳の延長からは永久に地球型の知性しか発明できまい。
 少なくとも地球外適応力養成のためには非建築的・脱構造的な思想余地を常に持たねばならない。
 数学はまなばれるべきではあれ、過信されてよい教義ではない。なぜなら如何なる命題といえそれ自体でしか確定できない。ならば科学も同然に、例えば、今のところ万有引力は十進法無理数でしか表現されないので、より数学的な学識が他星の知的生命体に開発されていればすぐさま間違いの対象となるだろう。