2007年4月29日

和平の哲学

理性は半信半疑に足る人間思想の一箇条に過ぎぬ事に気づけば、その合理化の極が逆説の中にしかないと悟る。科学のいかなる体系ですらこの自己矛盾から自律してありえない。理性は方法的懐疑を無限延に合理化しつづけるしかできない。それが利己主義でなければ何か説明できた者は一人もいなかった。理性は人情に方便さるべき思考形式の一傍流でしかない。功利主義に行き着くしかない理性狂信は危険思想潮流。カントでさえ世界精神の侵略戦争最小限化に工夫する情けの説得へ協力的でもなかった故。我々は科学を道具にし、理性を啓蒙のともしびにはするが、決して人道の最終目的を真理の発見には置かない。真理は人道の方便。
 人間は人情機敏の興隆を最終の目的に置く様な文明への道程に他ならない。情緒は理性の限界を悟るところから生じる自然の機知、万物流転への中庸な感情。人間感情への共感的没我こそあらゆる哲学を世界調停的自然との調和へ導く。大きな智恵とは、和平の熟達にある。和の哲学。
 老成が徳となる理由もここにのみ、正義。なぜなら博学知識と同時に経験則の蓄積に基づかなければ鶴の一言は不可能。ここに到って葉隠系武士道の極端説、死の美学は否定される。長寿の為には残悔の養生も又、善だから。