2007年4月11日

知的所有論

資源を持てる国の恐慌は資源を持てない国の膨張的侵略をもたらす。世界大戦とは一様にこのような資源所有度の偏重に由来する。国土、さらに遡れば土地の寡占があらゆる意味で人間の悪行へ繋がる原因。しかし同時に、私有財産を合理化するこの所有権こそがあらゆる社会契約への行程を生み出した。
 人類の競合を約束するのは、所有格差を知能行動の活発化の方便にしようとする、文明自然の狡智だった。我々は所有権を否定しうる立場にない。国家とは私有財産間での競争を誘発するために整えられた機構だし、またなべての国際組織についても国家資本間の功利抗争を能率化しようとする神意の采配に由来する。ところで人間は同類に対する善意をも育みうる訳だった。学術と呼ばれる分野はみな、政経的な利己悪意の配分に対する利他的調整の役目を果たす。よって学問および芸術は国家の道具にされてはならず、国際的に独立し、かつ自由な公開の原理を絶えず確認され直さねばならない。
 Scienceの成果のみならず科学技術の寡占つまり知的所有権は、自体が悪意の方途に過ぎない。我々は無制約の公開を学術活動の大原則に置かねばならない。知的財産はそれがひとつの資源だから。