2007年3月9日

処世

業績を分散させずできるだけ一極へ集中させ、かつそれらの複製を無数に行え。此は君の活動記録を心ない盗人によって散逸されない為に行うべし。君に余裕があれば、及び、其に足した少なからぬ虚栄という幾らかの人間風弱味、詰り幸運な未完作たる自然からの幾分かの加護があれば個人の記念館を自ら設立する事はその大多数の淘汰という自然からの振るいを含めて、極めて有益たる事に自覚的でなければならない。君は自作のおのれによる複製術が巧妙であればこそ保護戦略へ意識的であるのだ。文化的制作態度は作品の生涯を見据えた先である。だが、君はまずい作品まで保存される不手際を心細く思う際に、次の言葉を思い出してみるが早いだろう。傑作なき無能だけが努力の過程を恥じ入ると。だが、我々は天才の遺した筆致の全ては未完の大器を部分模写した敗北の活劇だ、と認識する。けだしこれ以外の成功の格付けもあるまい。しかして自主複製の定義は独創性信仰に対する自己模倣なのである。だが、更にそれを上回る神格或いはそう仮称すべき知性は結論するだろう。
 君は最高傑作以外を勉めて保護しようとするな、なぜなら同時代の大衆は彼らの無感覚に応じて勝手に宝の山を処理してくれる。そこで失われた名作も、どうしてか残された下らない品目も、全て伝説の役立つに過ぎないから。要するにたったひとつの至宝の他は浮世を渡る偽りの便利に過ぎなかったことになる。君は必ずしも芸術のみならず、体系づけた総合的著述による集大成論文においても同様の智恵を発揮する事で、およそ最も巧妙な創造の神話化を図りうるであろう。