2007年3月7日

音楽論

建築美即ち造形美とは文明にとっての適応合理の審査である。他方、音楽が活動の種類に対する時間の演出ならば、その造型は場に対するものでなければならない。普通これは建築に向けたもの、或いは究極ではその運営に対応したものでなければならない。型式に依って着せ換え可能な流行音楽は芸術の模範を示す為の道ではない。それは同時代を表現する無線である。つまり情報放送に過ぎない。古典は時代の自律した象徴であり、その追求は市場から独立した自由中でしか結局不可能だろう。個人用オーディオ類は音楽を携帯できるものにしたが、アルバムの規模が個人化しただけに過ぎない。音楽が場と対応した造型である事はそれが表現する最高度の結実が雰囲気である結論から逆演繹しうる。環境音楽の現代定義は古典の再生にある。則ちそれは場の演奏を復活させるべき要請。音楽は場に対する時の表現である事によって文明と結びつく。