2007年1月11日

善導について

君が善導の生業に着くだけ哲学に優れた個性ならますます政治的地位は邪魔になる。というのは先導力とは建築性だからであり、文明之啓蒙を通じてしか真に指揮を執る訳にはいかないからだ。もしこれを避ければ単に近代以前の社会体制へ退行するしかなくなる。我々は達見を通してのみ大衆を正しく導くことができる。それが故に言論の解放的風紀の養成と人権の再生は体制常なる命令。
 もし具体的政権を通じて現時的政治を追求してもあらゆる善導は失敗もしくは不良燃焼にとどまらざるをえない。これは民主制の限界。すべて民主的政とは失敗の重奏でしかない。この様な問題へは先見の明なき中等の種類に積極関わらせるのが社会善に違いない。ならば究極の先導点は意見の極限的洗練に置かれねばならない。そしてそのような意見を報道する行為を以て社会体制を徐々に転回させる他どんな最良の大衆啓発もない。